◎…昭和62年、国鉄が分割民営化してJRグループが発足。同年、JRグループ協定旅館ホテル連盟(当時はJRグループ協定旅館連盟)が発足した。国鉄時代、その創設にかかわったのが高際氏だ。連盟の生みの親ともいえる人物が、久々に“ホームタウン”に戻ってきた。「会員旅館・ホテルへの送客を増やしていくために、JR側にいろいろな働きかけを行わねばならない。会員とJRのつなぎ役をきちんと行うことが私にとっての大事な任務だと思う」。
◎…昭和44年国鉄入社。営業課に勤務し、長年、営業・企画の仕事に携わった。鉄道の切符を増売するために様々な企画を生み出すのがミッションだ。ジパング倶楽部、JNRカード(現JRカード)、日本一周列車の旅、シュプール号など、数々のヒット商品を生み出した。スキー列車のシュプール号は、かつてのスキーブームの頃、ゲレンデに向かうバスが国鉄本社前から次々と発車するのをビルの上から眺めていて発案したという。国鉄末期はJR東日本の旅行業登録に関する運輸省との調整や、前出のJR旅連の立ち上げに腐心する。ジェイアール東日本レンタリース社長を経て、今年6月の連盟総会で現職に。
◎…群馬県水上生まれの65歳。親子2代の国鉄マンだが、父親の転勤が多く、「北関東を転々として、中学校は4回変わった」。現在は2人の子どもが独立して家を離れ、奥さんと埼玉県で2人暮らし。趣味は「もっぱらゴルフ」で、腕前は「最近は衰えて90前半ぐらいかな」。
【聞き手・森田淳】