新型コロナウイルスのまん延で多くの変化が起きました。温泉地や宿泊産業を苦しめたのは確かですが、その中でも光明を見つけ出し、宿を進化させた旅館オーナーにも出会ってきました。
昨年の師走、長野県蓼科温泉に出掛けた時のことです。
「うちの宿は”僕の世界”を表現したものです」と話してくださったのは蓼科親湯温泉の4代目の柳澤幸輝社長。
柳澤社長は新卒で都内の不動産会社に入社しましたが、先代の危篤により、1999年4月に家業に戻りました。「当時は倒産寸前でしたから、僕が奇麗に片付けて、また東京に帰ろうと思っていましたが、どうせ廃業するのであれば、自分の考えで思いっきりやってみよう、と考え覚悟を決めました」。
当時は、主に団体客受け入れの宿だったので、他社と団体客の取り合いが激しかったのですが、「僕は、個人客メインにドラスティックに切り替えました。カップルや赤ちゃん向けのプランを作りましたし、子供無料なんて、今では当たり前になりましたが、うちは随分早かったんじゃないかな」。その路線が功を奏し、3割前半だった稼働率が9割に達し、2006年に1回目の大規模リニューアルを行いました。「まず企業として黒字化させ10年の間に2店舗増えました」。
そして2019年、2度目の大規模リニューアルで、柳澤社長が思い描き続けた世界をついに実現させました。
そもそも蓼科とは、文化人のサロンとして知られた地で、その中でも蓼科親湯温泉は中核とも言える存在でした。大正15年に初代・柳澤幸衛が旅館業を始めた時には、蓼科に関わりが深かった伊藤左千夫や柳原白蓮などの書を所蔵していました。現在は、さらに多くの文人の書が飾られ、明治、大正、昭和初期の宿帳なども展示されています。いわば土地の歴史を知ることができる、地域の”顔”の役割を果たしています。全52室の中には、伊藤佐千夫、太宰治、柳原白蓮といった蓼科ゆかりの文人をモチーフにした客室もあり、また館内に並ぶ蔵書は全3万5千冊にも及びます。世界的に評価される映画監督の小津安二郎も晩年、蓼科で6本の映画の脚本を書き、蓼科親湯温泉とも交流がありました。間もなく小津安二郎が愛用した品々を展示した部屋も完成予定です。
生粋の読書家である柳澤社長の「見識」と土地の「個性」が鮮やかに結び付いている蓼科親湯温泉。まさしく唯一無二の旅館です。改めて、経営スタンスを尋ねました。
《口コミは気にしない》
口コミ点数を上げるために、「いまはやりだからやる」という主体性がない方針だと、平均的で普通の宿になってしまいます。逆に僕の価値観を好きな人が集まってくれればリピーターになりますし、消費単価も上がります。
《ターゲットを明確にする》
ターゲットは知的刺激や自然に興味を持つ40代以上の女性。あとは夫婦と3世代家族。ですから家族向きの部屋やユニバーサルデザインの部屋を充実させ、また上諏訪の宿には車いすのまま入れるお風呂も作りました。
《コロナで確固たるファンを獲得できた》
コロナ禍ではコアなファン(お客さま)が支えてくれ黒字経営を続けられました。旅が難しい中で、調べて、あえてうちを選んで来て下さっていましたので理解があり、クレームは出なかったです。
柳澤社長の明確なターゲット設定とはやりに振り回されない自身の哲学が、ブレない旅館経営につながっていると痛感しました。
(温泉エッセイスト)