従業員のモチベーションが大事 自館の魅力を再発見、アピールを
新型コロナウイルスがわが国の観光を取り巻く状況を一変させた。観光客を受け入れる旅館・ホテルなど事業者は、この難局にどう立ち向かえばいいのか。温泉エッセイストの山崎まゆみ氏をコーディネーターに、各界の著名人に聞くシリーズ企画「アフターコロナ・ウィズコロナ時代の観光」。2回目は作家の江上剛氏に登場いただいた。
対談は東京の観光経済新聞社で7月30日に実施
山崎 江上先生の最新作「ラストチャンス 参謀のホテル」を読ませていただきました。本当にリアルで、知り合いの顔が浮かんできました。
江上 ありがとうございます。
山崎 旅館の女将たちのエピソードをまとめた文庫本を書きおろし中なのですが、取材を通して、旅館はこのコロナ禍でも、なかなか改革に踏み切れないところもあるように見受けられました。
銀行ご出身で、さまざまな企業再生の小説を執筆されている江上先生からアドバイスをいただけますか。
江上 経営者が利益や効率化を求めるのは当然ですが、そのことばかり考えていると、従業員の笑顔が消え、お客さんの笑顔も消えます。
今まで使っていた地場の商店を切って、入札で魚を仕入れる。合理的で、安くなるかもしれないが、品質は分からない。お客さんが一番分かる。「ああ、なんか悪くなったね」と。
山崎 お客さんはすぐ、分かるようですね。
江上 料理人が直接足を運んで、「今日のお客さまはこういう人だから」と、漁師と話をしながら時間をかけて魚を選ぶ。それを「何をやっているんだ」と、経営者に言われては、料理人はやる気をなくし、お客さんも逃げてしまう。
山崎 スタッフが楽しそうに働いている旅館は、私も泊まっていて楽しく感じます。
江上 明治時代の経営者は、従業員を家族と思って大事にしていました。
山崎 そう思っている旅館は今も多いですけどね。
江上 家族とみるのでしたら、家族のようにしっかりと遇してあげないと。
「参謀のホテル」では、「今どき従業員のモチベーションを上げて業績を上げる手法は古い」というせりふが出てきますが、今もそこが一番大事なところではないでしょうか。従業員は皆、意外な能力を持っているものです。
それと、もう一つ大事なのはマーケティングですね。
山崎 誰に来てほしいのか。
江上 これが難しい。どの層を相手にするか。お金持ちなのか、一般層なのか。いろいろあると思います。従業員と一緒になって、自分の旅館の魅力を再発見して、アピールするべきではないでしょうか。
今のコロナ禍の状況から言うと、昔、スペイン風邪がはやったときに、お金に余裕があるお年寄りたちは、人とあまり会わないところに避難したそうです。温泉地の旅館や別荘に、孫や子供を連れて滞在したといいます。
山崎 ワーケーションなどが言われていますが、むしろお年寄りに向けてアピールすべきだと。
江上 今、お年寄りは「動くな」「家にいろ」と言われていますが、それはおかしい。地方でしばらく静養した方が、都会にいるより安全ではないですか。
山崎 いわゆる「コロナ疎開」ですね。
江上 密になりたくない人を相手にする、そんなプランがあってもいいのではないでしょうか。
しかし、せっかくGo Toキャンペーンがあっても、大々的に旅行に行けない雰囲気があるのは残念ですね。特に日本人は空気を敏感に感じてしまうから、こそこそと行くことになってしまう。
山崎 疎開という名目だったら許してもらえそうですが。
江上 余談ですが、最近、家を十何年ぶりに修繕したので都内のホテルに女房と10日間ほど泊まったんです。
朝4時半ごろ起きて、皇居を一周、ランニングしてからごはんを食べる。もう、バイキングはできないから、定食になっていて、1日目は和定食を頼んだ。出てきて、食べました。
翌日の和定食。同じだったんですよ。メニューが全て。知り合いのマネージャーに「しばらく泊まるのが分かっているのだから、1品でも2品でも変えてみた方がお客さんも喜ぶんじゃないの」って。そうしたら翌日、メニューが少し変わったんですよ。でも、また次の日に元に戻った。
山崎 えっ?
江上 引き継ぎがされていなかったのだと思います。
キャビンアテンダントは、自分のフライトにどんな人が乗っているか、ファーストでもエコノミーでも覚えています。どんなお客さんが来ているのか、把握しているのが普通ではないですか。
今はそんな基本的なことを見直す時期なのではないでしょうか。
山崎 先生がもし今度、奥さまと10泊するとしたら、どんなところがいいですか。
江上 どこに行ってもそうですが、私は仕事を持っていくので、本が読めたり、パソコンができる環境があればいい。普通の物でいいので、机があればいい。
最近ご無沙汰ですが、好きな旅館がありました。和室で、次の間があって、机があって、コーヒーがいつでも飲める。
別の旅館もよかった。川端康成が何日間か泊まったところ。川端康成がいたのだから、俺もそんなふうになるかな、と思いながら書いていた(笑い)。
それと、放っておいてほしいですね。ずっと接待をしてくれる旅館もありましたが、ちょっとしんどかった。そこの社長も話をしていたのですが、これからサービスを考え直さなければいけないと。働き方改革が叫ばれて、自分の旅館を見直してみると、従業員にとってものすごく負担だったといいます。
江上剛氏(作家)
旅館は地域の「トヨタ」 もっと自信を持とう
山崎 皆さん本当に試行錯誤されています。ある旅館は照明を全てLEDに変えたり、館内清掃を外注から自前に変えたりして、コストカットをしました。1泊2食付きから素泊まりを主流にしたところ、食事の時間に縛られないからと、若いお客さんがすごく増えたそうです。
江上 出張でも普通のビジネスホテルより、温泉付きの旅館の方が受けるかもしれませんね。チェックインの時間とか食事とか、いろいろ工夫をすれば需要を取り込めるのではないでしょうか。
ただ、先にも述べましたが、コストカットを前提にするとたいていおかしくなります。マイナス思考になって、業績がどんどん縮小する。「こんなときでも皆さんに喜んでもらえるサービスはないか」。そんな考えがほしい。
劇団が公演できないでいますが、旅館が呼べばいい。ヨーロッパは田舎町にもオペラハウスがあり、村の人たちが芝居や音楽を楽しんでいます。
旅館は、特に地方においてはトヨタと同じ。地域の産業や文化の頂点に位置しているわけです。これをみじめにしてはいけない。
山崎 地域のシンボルであり、ショールーム、アイデンティティーでもある。
江上 そう。そして食材を仕入れる商店やタクシー、クリーニングなど、地域の経済にものすごい影響力がある。旅館があれば、街全体が活気づく。魚屋さんも「俺はあそこの旅館に魚を入れている」という自慢になるんです。
山崎 なくしてはいけませんね。
江上 でも、政府に安易に助けてもらおうと思ってはいけない。政府に頼って再生した企業がいくつありますか。ほとんど自力で立ち直った。
山崎 江上先生のような発言力のある方に、旅館はトヨタ、地域のシンボルと言っていただいてありがたいです。
今はGo Toキャンペーンや観光が悪者という風潮があって。でも、地域経済は、観光で回していかなければならないところがあります。
江上 温泉地の小説を書くために、いろいろなところに行きましたが、みんな本当に頑張っています。質の良い温泉が全国各地にあります。もっと自信を持って発信するべきではないでしょうか。
コーディネーター 山崎まゆみ氏(温泉エッセイスト)