新型コロナ禍を経て市場も行政の政策も今まで以上に単なる観光から体験へとシフトしてきている。その中で「高付加価値旅行」という言葉をよく耳にするようになった。いわゆる付加価値の高い旅行のことである。 今年3月に改定された観光立国推進基本計画にも「高付加価値」という言葉は50回以上出てくる。
ただこの「高付加価値旅行」という言葉は適切な共通理解のもとに使われないと、時として誤解を招く。この新聞の読者の方も「高付加価値旅行=高額旅行」と考えている人が少なくないのではないだろうか。しかし高付加価値旅行は必ずしも高額旅行とイコールではない。
例えば地方の農家のおばあさんが、そこを訪ねてきた旅行者に「この村は戦国時代に落ち武者たちがたどり着いてきて、村人たちは彼らに地元の食材で料理を作って食べさせ、村に住まわせてあげた。彼らが住んでいた家が、今でもすぐそこに残っている」などと話したら、それは旅行者にとっては「高付加価値」なのである。しかもこれにはそれほどコストはかからない。
一方で旅行者はこのおばあさんの話に「ならではの価値」を感じ、再びこの村を訪ねておばあさんに会い、話が聞きたい、あるいは村の人たちと交流したいと考え、リピーターにつながる。たとえ本人が来られなくても友人・知人に勧める。それが結果的に消費拡大につながる。 なにも高級宿に宿泊し、高い食材で高級料理を提供することが高付加価値ではない。
もちろん訪日旅行者の中には、本物の歌舞伎役者と会って、直接歌舞伎の話を聞けるのであれば、何十万円でも払うというような、日本に文化、歴史に造詣があり、本物の価値には金を惜しまない人もいる。要はいかに訪日旅行者一人一人にとっての「ならではの価値」「本物の価値」を提供できるかということが非常に重要になる。
高額の商品を作るためにとか、よりお金を使ってもらう商品を作るということがありきでは、本末転倒になる。高付加価値旅行を考える時、このことをしっかり認識しておかなければならない。
(帝京大学経済学部観光経営学科教授 吉村久夫)