【一寸先は旅 人 宿 街8】「富裕層」の大合唱に思う 神崎公一


 フユーソー、フユーソーと官民挙げての大合唱が聞こえてくる。「富裕層をターゲットに」とは、ベストセラー「新・観光立国論」の著者、デービッド・アトキンソン氏が繰り返し主張している観光戦略である。インバウンド(訪日外国人観光客)を念頭に置いた発言だ。

 単純化して示すとこのような論法となる。アジアからの短期旅行で予算10万円の観光客を100人呼び込むよりも、欧米から100万円使ってくれる20人が来てくれるほうが経済効果は大きい。前者の消費額1000万円、後者は2千万円。

 同氏は、ガイドの重要性にも言及。魅力をしっかり伝えるためには専門的知識の豊富なガイドが必要で、有料化を図るべきだとしている。満足感が得られるならたとえ高額でも需要はあるという。

 このような主張と軌を一にして観光庁も「上質な宿泊施設の開発促進事業」を打ちだし、施設や設備の改善を支援している。コロナ禍による水際規制の緩和で、インバウンドの増加を見込んでいるからだ。

 ここで二つの疑問がある。本紙で帝京大学の吉村久夫教授は「お金を持っている人=お金を使う人」では必ずしもないと看破している。納得いく商品やサービスに財布のひもを緩めるが、それには特別感が不可欠と述べている。

 こう指摘されて、筆者は都内で中華料理店を営むお金持ちの中国人男性とタクシーに同乗した時のやりとりを思い出した。料金は920円。支払いの際、彼から20円貸してくれと頼まれた。900円分の小銭はあるが、20円足りないからだという。

 タクシーを降りてから「〇〇さん、千円払って、おつりは取っとけといえばいいのに。お金持ちなんだから」と皮肉ったら、「なんでおつりはいらないなんて言うのよ。1円でも稼ぐのは大変なことよ!」と注意された。

 さて、もう一つ。11月半ばに信州の温泉街に行った。最近の入り込み状況などについて話を聞いている中で、富裕層対策が話題になった。その地域も前述した観光庁の補助金を活用して、改装を行う旅館があるという。2部屋を1部屋にして、広くて贅(ぜい)を尽くした造りにする対策などだ。

 しかし、施設の改装はできても富裕層が満足するようなサービスを提供できるか懸念もあるという。特に、1泊10万円を支払うような客が満足するようなおもてなしは、ハードルが高い。質の良い従業員の確保も頭が痛いと明かした。宿泊業は人手不足だからだ。

 政府はインバウンドの目標として、2030年に6千万人、消費額15兆円を掲げている。コロナ禍の直前、2019年は同3188万人で、消費額は約5兆円だった。新たな目標では、とりわけ消費額が3倍と大胆な数値を打ち出している。そのためにも、単価が高い層への戦略が重要性を帯びてくる。

 1泊10万円でも、いや100万円でも支払う層は存在する。日本人でも、円安が向かい風となって、海外を避け、ちょっと豪華な国内旅行志向も生じている。

 しかし、筆者周辺の肌感覚では、宿泊代金として1泊2食で1万5千円から2万円が相場ではないか。また、盆暮れ関係なく年間同額でお手ごろ価格の宿泊施設を利用する家族連れや、観光でも1泊1万円以下のビジネスホテルに泊まる旅好きも多い。

 日本の宿泊業は生産性が低いとの指摘がある。その結果、賃金水準が低く、優秀な人材を集めにくい。そのための対策はデジタル化の推進などとともに、宿泊代金の引き上げも課題と言われている。

 ただ、「フユーソー」とは程遠い旅好きの筆者としては、宿泊費の引き上げもやむを得ないと思うが、それに見合うサービスや施設の向上を忘れないでほしいと願う。富裕層戦略を見聞きするたびに、何だか切り捨てが始まっているようで仕方がない。

 (日本旅行作家協会理事、元旅行読売出版社社長)
      

 
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