イラン情勢が緊迫の度を増していた最中に、イランの首都テヘラン空港を飛び立って間もなくウクライナの旅客機がイラン軍により撃墜された。乗客乗員176人全員が死亡するという、何とも痛ましい事件が起こった。
近代的なレーダーや電子機器のある時代に人為的なミスでの誤射などあり得ないと思うのは私だけではないはずである。謝って済む話ではない。
密出国でレバノンに逃亡した日産自動車のゴーン元会長は記者会見を開いたが、雄弁多弁に違法な脱出の言い訳をしたのに過ぎない。このままでは、何かすっきりしない。二つの事件は真相究明と再発防止がなされることを望むばかりである。
穏やかな正月を迎えた日本は昨年の訪日外国人が史上最高の3188万人を記録したものの、韓国人の激減も影響し、その伸び率は微弱となった。
一般的な正月休みが終わるや否や、成田空港からの直行便で往路6時間半、復路5時間半と手軽な距離にあるベトナムのリゾート地、5年前に訪ねたダナンを再び訪れた。以前に比べて豪華なホテルの建設が進んでいる。
世界遺産はホイアンの町並みやミーソン遺跡、100キロ離れてはいるが古都フエの城郭や王廟など見応えのある観光地もある。さらに、ゴンドラで20分も乗るバーナーヒルという山の上にある新しい施設も人気がある。体験プログラムもマリンスポーツやベトナム料理のクッキングやクラフトなどが増え続けている。
現地は、もはやソウルではないかと勘違いするぐらい韓国人が多い。夜の現地出発便の電光掲示板ではソウル、大邱、釜山と韓国に向かってLCC(格安航空会社)を含め直行便が12便も飛んでいる。それに比べて日本は成田と関空の2便のみである。その成田便の約半数は外国人であることからも、韓国の観光客数は日本の10倍にもなる。
夜のホイアンでは日本人の100倍以上に思えた。客層も中高年よりも若者が多い。休暇が取れることや、旅費を捻出できるなど、時間とお金に余裕があるのだろうか、旅が豊かさの象徴とまでは言わないまでも、若者がほとんどいない日本との違いを見せつけられた思いである。
もちろん、元々人口が日本の10倍以上の中国も多くの観光客が訪れていた。レストランの食事メニューはベトナム語、英語、ハングル、中国語の順であり、日本食の店に行かなかったので、日本語のメニューは見つからなかった。寂しさを感じた。
東京オリンピックも半年後に迫り、より多くの言語表記はもてなしの一つのポイントになる。アジアの大都市では日本との物価の差が縮まる中、飲食や日用品は約2分の1から3分の1、タクシー代は約5分の1と現地通貨のドンに両替するもまだまだ日本円の使い勝手があり、買い物は旅の醍醐味(だいごみ)でもある。
かわいい子には旅をさせろという言葉もある。1975~90年代に日本の若者が日本中を旅した時代があった。国内外を問わず日本の若者が旅をし、日本の良さと国際感覚を身に付け、社会性と人間性を高める国にしなければならない。