最近、ポテチにハマっている。店頭の陳列棚を見ると、え?こんなのあるんだ!と、手を伸ばしちゃうポテトチップス。期間限定品やコンビニ限定品など、メーカーさんの策略だと分かっていても、今ここでしか手に入らないと思うと、ついつい買ってしまう。
その種類の多さはハンパない。毎月どこかのメーカーが新商品をリリースしているといわれるほどだ。モチロン、それもコロナ禍と無縁ではない。巣ごもり需要で売り上げが大幅アップしているのだ。業界最大手カルビーは2019年の売上高2487億円に対し2021年が2667億円、第2位の湖池屋は340億円から402億円に伸ばしている。
実は、日本では生のジャガイモの輸入が規制されているため、ポテチづくりに必要なジャガイモは国内調達となるが、そこには常に天候不順などによる不作のリスクが伴う。主要産地北海道産のジャガイモが、昨年から日照不足と低温の影響で収穫量8%減となっており、深刻な原料不足が続いている。それでも、これだけ売り上げが拡大しているのだからスゴイ。
ポテチって生のジャガイモから作ってたの?と仰るそこのアナタ! そう、ポテチは「チップスター」や「プリングルス」のような成型式以外、正真正銘生のジャガイモをカットして揚げているのだ。カルビー公式サイトによれば、60グラムのポテチ1袋には、中くらいの大きさ(約100グラム/個)のジャガイモが2~3個使われているという。
そもそも、どこでどう生まれたのか? 諸説あるが、1853年に米国ニューヨーク州サラトガ・スプリングスのレストランで、ジョージ・クラムというシェフによって発明されたとする説が有力。ある顧客から、フライドポテトが厚過ぎるというクレームがあり、何度も作り直しを命じられたため、最後にはとことん薄くスライスしてカリカリに揚げて提供したところ、大好評だったという。
つまり、当初はお料理の付け合わせという立ち位置だったポテチ。大量生産はできても、湿気たり酸化したりという問題があったが、梱包技術の進化により解決され、スナック菓子として定着したのだ。
日本での歴史はというと、終戦後ハワイから帰国した濱田音四郎氏が、昭和20年代にアメリカン・ポテトチップス社を設立したのが始まりとされている。当時は進駐軍にしか売れなかったそうだ。現在は「フラ印」として知られる。
一方、1953年創業の湖池屋創業者小池和夫氏も、ポテチの父とされる。とある飲食店で揚げたてのポテチに出会った同氏、こんなにおいしい物があるのかと感動し、研究開発を重ね、1962年ついに「のり塩」の発売に至った。その後、1967年には日本初の量産化に成功したという。
同社は老舗としてのプライドをかけ、2017年に「KOIKEYA PRIDE POTATO」を発売、プレミアムポテチ市場を築く。ラインアップには、食塩不使用の商品も。何それ? 続きは次号で!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。