本土との往来にパスポートが必要だった1958年、那覇松尾の地で創業したOTSこと「沖縄ツーリスト」が今年、65周年を迎えた。1米ドル=360円の固定相場制時代で、創業時の資本金は3千米ドルという。翌年には早くもIATAを取得した。70年、沖縄初となるレンタカー事業「OTSレンタカー」を開業し、翌年、JATAに加盟して本土復帰(72年)を迎えた。以降、わが国・沖縄の観光産業界をリードしてきたのは読者の皆さんの知るところだ。
去る10月、那覇市内で周年記念イベントが催され、筆者もお祝いに駆けつけた。それが、OTS代表の東(ひがし)良和会長自らが司会をして来場者をもてなす。見渡せば、親と一緒の児童や生徒の姿もあった。それもそのはず。第1部「国立沖縄自然史博物館誘致講演」で登壇した深津武馬先生は、自他ともに認める”虫博士”。生物多様性と共生進化論について、子供たちにも分かりやすいよう平易に説いて、研究の面白さを伝えた。子供たちは目を輝かせて聞き入った。
沖縄の豊かな自然は日本の宝だ。この宝を守るだけでなく、英知を結集して先駆けとなり、知の拠点・沖縄を世界に示したい。国立自然史博物館を沖縄へ誘致、建設しようという動きに、OTSが賛同して手を携えていることを知り、あらためて地域の核となる企業のあるべき姿をみた気がした。
沖縄に通い詰めるようになって十余年。現在、観光庁インバウンドの高付加価値コンテンツ事業「琉球夜会」を手掛けるブレーン沖縄の安井滋雄会長が、筆者を見いだしてくれたのが始まりだ。それからは、まるで数珠がつながるがごとく沖縄の観光経済界との良縁に恵まれた。東会長をはじめ、沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長、日本旅行の協定旅館ホテル連盟会長のカヌチャベイリゾート白石武博社長、さらに東会長からの紹介で、KYN会を主宰するEGL沖縄の小島博子社長や公益財団法人地域育成財団の横尾隆義代表理事にもご縁を紡いでいただいた。感謝にたえない。
さて、周年記念イベントの第2部の司会は、あの平田大一さんにバトンタッチ。ぜいたく過ぎる。甲子園ファンを自認する筆者家族が大好きな一曲、成底ゆう子さんの「ダイナミック琉球」で幕明けた。以前、KYN会の2次会で成底さんの生カラオケを聞いて、鳥肌が立ったことを思い出す。
このダイナミック琉球と、島宇宙的楽曲「ミルクムナリ」の二大楽曲を作詞した平田さんは、筆者が県観光の委員だった当時、文化観光スポーツ部の部長でいらして、大変世話になった。美音(みおん)さんが歌う幻想的なミルクムナリも披露され、作曲した日出克さんとは親娘と聞いて驚いた。ダイナミック琉球を作曲したイクマあきらさんが舞台に立つと、会場のボルテージが一気に上がった。エイサー太鼓が鳴り響き、踊り手たちが会場いっぱいに散ると、観客は総立ちに。イクマさんの歌声とド迫力に押されて、なぜか涙があふれてきた。沖縄に誘(いざな)われる人たちの共通項がひも解けた。誰もが真剣に生きている。
戦後沖縄の艱難(かんなん)辛苦を乗り越えてコロナ禍を経ての65周年、誠におめでとうございます。OTSのご発展と、東会長のさらなる飛躍を祈念します。
(淑徳大学 経営学部 観光経営学科 学部長・教授 千葉千枝子)