32年ぶりの再会だった。福島の山深い里・南会津の只見町にある宿泊施設「季(とき)の郷(さと) 湯ら里(り)」で常務取締役を務める村岡輝久氏は、かつて筆者が勤務した旅行会社の同じ職場で修学旅行の担当だった。郡山(現・福島)支店長時代に只見町ふるさと大使に任命されたのを機に、希少なブナ林の生物圏保存地域・只見ユネスコエコパークの登録に尽力するなど、応援団として通いつめた。旅行会社の協定旅館締結や修学旅行の誘致など持てるノウハウを提供していつしか地域の担い手になっていた。
湯ら里は1994年、都市と農村を結ぶ活性化の拠点として建てられた保養施設で、町営からスタートした。その前年に温泉が湧き出たことから、地区の名をとって深沢温泉と呼ばれる。鉄分と塩分を多く含む茶褐色が特長の日帰り温泉「むら湯」が同じ敷地内にあり、町民の憩いの場になっている。現在は、第3セクター方式で運営がなされているが、稼ぐ力や従業員たちのホスピタリティの醸成など課題も多い。そうした環境下で、同氏の気働きには目を見張るものがあった。
団体客が入った日の夜は、皿などの洗い物が多い。常務自らが洗い場に立ち、従業員の負担を軽くしていると聞いて驚いた。率先垂範である。暑い夏もブレザーを着て到着客を出迎える。胸には「番頭」の文字。建物は老朽化も進んでいるが、休館日には一斉清掃で手入れして、清潔さを保っていた。そうした姿をみて意識を変えた従業員も少なからずいたであろう。
2021年に新たに設立されたサービス事業運営会社「会津ただみ振興公社」は、只見町・新國元久(にっくにもとひさ)副町長が代表を務める組織で、発展的解消をした旧・観光協会のインフォメーションセンター運営など一部業務を引き継いだ。
その公社主催の研修会で筆者は、ホスピタリティの概念やサービスとの違いなど「おもてなし」の基本を解説した。サービスの語源は奉仕や給仕で、サーバントは奴隷を意味する。しかしホスピタリティは、ゲスト(客人)とホスト(主人)が対等という考えがある。組織に隷属するのではなく、はつらつとお客さまを迎え入れることができるなら、リピーターも増えるだろう。
平成不況の時代は、地域活性が地方自治体の合言葉だった。だが2014年に第2次安倍内閣が発足すると、ローカルアベノミクス=地方創生が叫ばれ、自律や持続性が求められるようになったのだ。既存の施設は、地域のランドマークとして存在意義が増す一方、単なる保養施設ではなく、競争力のある稼ぎ頭へと変わっていかなくてはならない。
22年10月1日、JR只見線が全線運転再開を果たす。東日本大震災の風評被害に悩まされ、新潟・福島豪雨で橋梁が流出して途絶えた路線が、11年ぶりに開通する。さらに26年には、新潟・三条と只見町を結ぶ「八十里越」が開通する計画だ。磐越道経由の約半分の時短で移動でき、冬場の通行止も回避できる。
まちのドメインは「自然首都・只見」である。担い手の輪は広がりつつある。只見ダムと田子倉ダム、キャンプ場やスキー場、縁結びにご利益がある三石神社など、豊富な観光資源にこれから磨きをかけようとしている。
(淑徳大学 経営学部 観光経営学科 学部長・教授 千葉千枝子)