和辻哲郎は、世界の「風土」を3分類した。モンスーン地帯、牧場地帯、そして砂漠地帯である。モンスーン地帯には、梅雨や雨季がある。燃料は木材、家屋の原材料は木材、木の文化をもち、仏教を信仰する人々が多い。牧場地帯は、家畜を飼ったり遊牧をする。燃料はオリーブ油や家畜の油、家屋は石材を用いたがレンガへ移行、石の文化でキリスト教を信仰する。砂漠地帯では、オアシスで泥作りの家に住み、燃料は家畜の糞を乾燥させて使う、泥の文化でイスラム教徒が圧倒的に多い。
2022年6月、アフガニスタン東部が地震に見舞われた。千名以上の犠牲者を出したばかりか、ほとんどの泥作りの家屋が崩壊した。タリバン政権を承認した国がなく、国連機関が手を差し伸べたり、赤十字が支援するにとどまり、援助が不十分であった。
泥作りの家は、地震にめっぽう弱い。安価ではあるが、夏は涼しく、冬は寒さを感じさせない。ただ、毒もつサソリが巣を作る注意さえしておれば、安全であった。雨が降らないのだから、ぶ厚い泥作りの家屋で十分だった。
だが、文明や文化が進むうち、「風土」とは無関係な建築物が世界中に登場する。鉄筋とコンクリート、ガラス等がより強度を増し、建物は高層化した。
1960年代に中学生だった私たちは、英語の授業でニューヨークの摩天楼について学んだ。強烈なショックを受けたことを覚えている。やがて私自身もニューヨークに住んだが、林立する高層ビルのマンハッタンは威容を誇りながらも、機能的ではあったが長期間にわたって住む気にはなれなかった。高層ビルの中央に広いセントラルパークがあったため、自然に餓える人々の心を中和させていた。
高層ビルの建築物は、日本国内でも全国で見られる。あたかも高さを競うかのごとく高層化が進む。地価が高騰し、どうしても高さに価値を求めるようになる。兵庫県の西宮市をはじめ、いくつかの自治体は高さ制限を条例で定める。景観を損なうという意見に支配されるからであろう。かつて京都駅前のタワーを建築する際も、景観問題が浮上した。ところが、地域によっては、高さ制限の緩和が再開発事業を巡って今日的な問題となっている。
ビル街での高層化は、それほど騒がれない。風通しが悪くなる、日照に問題がある、さらに眺望が悪くなると訴える住民がいる住宅地では、高層ビルの建築は困難を伴う。自治体は再開発のために高さ制限の条例を緩和させ、人の流れを呼び込んで税収を考えるが、住民との間でトラブルが生じる。街と高層ビルとの調和を考えたとき、再開発は総合的でなければならない。上海のビル街は、再開発によるものだが、幅広の道路と区画は計画的かつ総合的で、住宅街はない。
東京・渋谷の再開発が進む。100メートルを超すビルが林立しつつあるが、住宅街がない上に、地主が昔ながらの大企業、問題が起こらないにつけても、他の駅前などでは住宅街があるため、高層ビルの建築は難しい。
東京には、既に高さ100メートル以上のビルが480棟もあり、世界の大都市らしくあるにつけ、東京は特殊な街である感じがする。古くから大企業が先を読んで資本を投じていたため、再開発が順調に進む。
だが、他地域にあっては、高層化を目指すことなく、高さ制限を守った再開発を行い、個性的な街づくりを考慮すべきである。少子化に加えて、直下型の地震も心配される。立ち退かねばならない地権者が出現するような条例変更をせず、魅力的な再開発に知恵を出す必要がある。
ニューヨークの高層ビルの一部は、老朽化していてスラム化しつつある。建て直しが難しく、入居者たちが出て行く傾向にあるのだ。低層であっても、面白い店々が並べば人気が出る。その研究こそが大切であろう。
目黒区の自由が丘の街を参考にしてほしい。その地、その地の特徴がある。高層化だけが再開発の目玉であってはならない。