テレビを見ていたら、広島の世界文化遺産に登録されている原爆ドームの保存工事の様子を映し出していた。5回目の工事だという。鋼材の塗装やレンガの補強などを行いながら、保存状態を把握するための調査を実施するという。この原爆ドームこそが、わが国の最大の戦争遺跡である。
毎年の8月6日、私どもの日体大ではキャンパス内にある慰霊碑前で慰霊式を挙行する。あの約310万人もの命を奪った戦争を風化させないために、平和の尊さと大切さを実感するために、全学あげて学徒動員で出兵して犠牲となった先輩たちをしのぶ式典だ。昨今、参加して下さる高齢の卒業生も減ってきていて戦争を体験していない関係者ばかりになってきた。
私の故郷には、私たち子どもが防空壕や地下壕で遊ぶ戦争遺跡があり、大人たちに怒鳴られた。危険であるに加え、大人たちはあの悲しい戦争を想起したくなかったに違いない。戦後78年ともなると、各地の戦争遺跡はだんだんと喪失しつつあるようだ。ここで私たちは、戦争遺跡について再考する必要があると考える。二度と戦争をしない、平和を継続する教材として戦争遺跡を大切に保存すべきである。
政府は1995年に広島原爆ドームを国指定の史跡にし、翌年、文化庁は「近代遺跡の調査等に関する検討会」を設置した。十菱駿武氏の論文『戦争遺跡は今』(前衛No992、2020年9月号)によると、「戦争遺跡保存全国ネットワークは文化庁交渉でたびたび報告書公表を要望してきたが、まだ刊行されていない。このことが長野市松代大本営はじめ各地の戦争遺跡の文化財指定・登録が進まない最大の原因となっている」と説く。
政府にとって都合の悪い一面があるのかもしれぬが、すでに78年の歳月がたち、政治的立場を離れて調査報告書を公表すべきだと考える。悲劇の歴史でもある戦争を、その真実を語れるのは、まだまだ先だというのであろうか。それでは、いよいよ戦争を風化させてしまうと心配する。いつの世にあっても真実は一つだ。
私たち日体大は、埼玉県の桶川市と交流協定を締結している。その折、桶川飛行学校関連の本部兵舎や守衛所等を見学させていただいた。保存状態も良好で、時に映画撮影にも使われると聞いた。市は建造物を修理したり熱心に保存活用の事業に取り組み、戦争遺跡を大切にしていた。DVDを見せていただき、後世に伝えようとする意気込みが理解できた。立派な戦争遺跡だとも認識できた。
おそらく、全国の各自治体に大なり小なりの戦争遺跡があると思われる。戦争を体験した多くの人たちは鬼籍に入られ、直接、戦争について耳にできなくなっている。で、戦争遺跡や戦争遺物が平和を語る際に必要となる。これらを保存する使命が各自治体や私たちにある。まだまだ全国に戦争遺跡があり、十菱氏の論文によれば、「文化財保護法、都道府県・市町村の文化財保護条例で指定・登録されている戦争文化財は296件(2019年8月現在)以上である」というが、私は少ないと感じ入る。
沖縄を訪れると、戦争のさまざまな事象について学ぶ。多くの学校が、修学旅行に沖縄を選択するのは、エキゾチックな環境・風土とともに「平和教育」の教材の島であるからにほかならない。私も幾度も沖縄を旅したが、その歴史を学ばずして近代日本を語れないと痛感させられたものだ。また、現在も基地問題をはじめ諸々の課題を抱え、対立構造の解けない現実を悲しむ。
ともあれ現在の日本国は、第2次世界大戦の敗戦によって新生国家としてスタートし、成長してきた。その国民である私たちには、その戦争の遺産や遺跡を後世に伝えるために保存する義務がある。国も各自治体も「平和教育」の象徴として保存に取り組んでほしい。
かつて私が代議士だったとき、2.26事件の兵たちが住んでいた第3歩兵連隊の兵舎を遺す運動を展開し、一部を遺すことに成功した。東京・六本木の新国立美術館の一部として今も利用されている。