片道4時間ほどかけて福島県奥会津に行ってきました。
郡山までは新幹線で快適に到着。郡山駅から磐越西線で会津若松に向かうはずでしたが、強風のために予定していた電車が運休し、その後も遅延する様子でしたので、バスで会津若松に向かいました。
この選択が良かった。
会津若松駅に恵比寿屋旅館のご主人・坂内譲さんに迎えに来ていただきました。奥会津に入る頃、期せずして只見線が走る時刻。そう、到着時間の遅れがこんな幸運を呼んだのです。
只見線に狂喜する私を見て、坂内さんが只見線に伴走するかのように車を走らせてくれました。
まっさらな雪原を雪けぶりをあげながら、懸命に走る列車がいとおしかった。
只見線の見どころ地点の第一鉄橋を望む高台。ここからは只見川と雪景色が一望できました。ふれあい広場で待っているとやって来ました、雪景色の中から列車が! このシーンを一目見ようと、多くのお客さんがいました。
その中で、聞き慣れない言葉が聞こえてきました。声が大きく、皆さん興奮している様子。首から高性能のカメラをかけているこの方々は、台湾から大挙してやってきた観光客でした。レンタカーで只見線の見どころを回り、美しい写真を撮っては、SNSに投稿しているのだそうです。
この台湾での只見線ブームは、奥会津の金山町で暮らし、四季の風景や只見線を撮り続けるアマチュアカメラマンの星賢孝さん(70歳)の存在が大きいそうです。建設会社で勤めていた星さんは退職後、地元の写真を撮り始めました。日々SNSに美しい写真を投稿し、それが台湾や香港、アジアに広がっていきました。
星さんのトークショーを台北で開催すれば200人は集まるそうです。
写真の力で奥会津に外国からのお客さんを集めた現場を目の当たりにしました。
この晩は玉梨温泉恵比寿屋旅館に宿泊し、金山町の押部源二郎町長はじめとする役場の皆さん、星さん、坂内さんと夕食をご一緒しました。
話題はもっぱら只見線について。坂内さんの明るい言葉が私の心に強く残りました。
「震災前はあって当たり前でしたが、いまは私たちにとってシンボルです。こんな田舎にこんなに外国人が来てくださるのも、マスコミに大きく取り上げられるのも、只見線があるからです。こうした目に見える効果によって、只見線の見学場所の整備が計画されているんですよ。このまま世界に誇る日本の宝になっていってもらいたいですね」
奥会津には温泉街はありません。けれど個性あふれる温泉が点在する地域で、特に金山町は希少価値のある炭酸泉で知られます。「炭酸場(たんさんば)」の水は、明治10年には「太陽水」と命名し、胃腸薬として瓶に詰めて販売しました。明治38年にはドイツに輸出していたという歴史もあります。井戸をのぞき込むと、「ぱちぱち」と泡が弾ける音がします。その炭酸水を口に含むと、泡が勢いよく舌を弾きました。
奥会津金山町も、さらに弾ける未来がすぐそこにありそうです。(温泉エッセイスト)