2016年春に熊本地震によって休業を余儀なくされた、南阿蘇の麓に湧く地獄温泉清風荘。村道喜多・垂玉線が開通したことで、3年の時を経て再開したというニュースを聞き、ようやく再訪。熊本県温泉協会事務局のスタッフであり、友人の緒方祐子さんに連れて行ってもらいました。
9月の半ばだというのに、空には積乱雲がぽっかり浮かんでいます。
地元では”阿蘇の赤大橋”の通称で愛されてきた阿蘇大橋もまだまだ工事中。
舗装された道から、急に砂利道に入ったくらいから、山の斜面が崩れたままの痛々しい風景が目に入ってきました。「道が開通したから、やっと重機が入って、工事ができるようになったのよ」と、緒方さんが教えてくれました。
私は地獄温泉で出会ったあるお客さんのことを思い出していました。かれこれ10年以上前のことです。
混浴露天風呂「すずめの湯」に入ると、たどたどしい日本語で私に語りかけてきた初老の男性。どう見ても日本人男性の風貌なのですが、どこか外国人のようなしぐさをする場面もありました。よくよく話を聞くと、ブラジルからのお客さま。「私は日系3世です。私は日本人であるということを忘れないために、地獄温泉に年に2回やってきます」と話してくれました。温泉の原風景がそのまま残る地獄温泉で湯治をすることで、日本人としてのアイデンティティの確認をしているそうです。
私たち日本人が、どれほど温泉を求めているのか―。
日本人にとって温泉はかけがえのない存在なのだと教えていただいた大切なエピソードです。温泉の尊さを伝えるときには必ず、私はこの話をします。
地獄温泉の手前で、震災後に手付かずの状態になっている垂玉温泉山口旅館がありました。建物横の敷地内からは、源泉口から漂う湯けむりだけが寂し気にたなびいています。
地獄温泉に到着すると駐車場に案内されました。まだ工事真っ最中の宿泊棟を横に、「すずめの湯」を目指します。
河津誠社長が待っていてくださいました。日に焼けて、真っ白い歯をのぞかせながら、笑っている河津社長。筋骨隆々のその体には、「SUSUME」というロゴが入ったTシャツが。まるですずめの湯が心の支えであるかのように。
受付の管理棟の奥に「すずめの湯」が見えました。印象は湯船も風情も。地震前と何も変わりない。ただ手前に岩風呂が一つ増えています。「すずめの湯」に入っている人は、顔に泥を塗っていますが、それも3年前のまま。
現在の「すずめの湯」は、混浴風呂ではありますが、湯浴み着か水着着用となっています。入湯料1200円、湯浴み着1100円を払い、女性脱衣所へ。
脱衣所はふんだんに木を使ったログハウス風で、かつての地獄温泉よりも、ずいぶん、女性向けの設えがあります。
脱衣所を出ると内風呂があり、ここで体を洗い、一度温まってから、水着か湯浴み着を着けて、混浴露天風呂に行くようになっています。
「水着か湯浴み着着用にしましたことで、手術痕があるお客さんやLGBTの方、また外国の方にも入りやすくなったと喜んでいただいております」と河津社長。私が訪ねた時も、ドイツ人のお客さんが大挙してやって来ていました。
次回は、復興を成し遂げた河津社長のお話を伝えます。
(温泉エッセイスト)