東京都上野にある老舗旅館「水月ホテル鷗外荘」。上野公園や不忍池に近く、敷地内には森鷗外の旧邸と客室100室の宿泊棟があります。旧邸には、森鷗外が短編小説「舞姫」を書いた「舞姫の間」が現存しており、そこから眺める庭も当時のままです。雑然とした上野駅から歩いてわずか10分で、この静寂な空間があるのかと驚きます。東京都が認定した天然温泉第1号が敷地内に湧出していて、源泉19度の重炭酸ソーダー泉は加温が必要ですがとってもいいお湯。
私はさまざまな撮影でお世話になりましたし、大事な仕事先との会食で利用させてもらいました。何より、中村みさ子女将をお慕いしてきました。
3月半ばでした。ツイッターで「鷗外荘閉館」が話題になりました。その時はひどいうわさだと思いました。数日後、みさ子女将からお手紙が届き、そこには5月で閉館されることが記されていました。
びっくりして翌日、会いに行きましたが、みさ子女将の姿が目に入った途端、涙が止まらずに、言葉になりません。
「常連さんも泣いてくださるの。私までもらい泣きしちゃって。ありがたいわ」とみさ子女将も目に涙を浮かべていました。「今は、皆さんに来てくださいとは言いにくいですが、鷗外荘を愛してくださったお客さまに鷗外荘を懐かしんでほしいです」とおっしゃいました。
閉館は覆せない決定事項で、みさ子女将が最後まで走ろうと決めたのなら、私も傍らで走らせてもらおうと決めました。一介の物書きができることはたかがしれていますが、みさ子女将の率直なお気持ちを原稿にしようと思いました。それから文藝春秋の担当編集者に発表媒体を用意してもらい、4月7日に文藝春秋のニュースサイト「文春オンライン」でみさ子女将の記事を掲載。鷗外荘閉館までの経緯とみさ子女将の心情をつづりました。
閉館を決めた時の情景。まず最初に行ったのは、入社予定だった高校生におわびの手紙を書いたこと。閉館を決めたのは、森鷗外の旧邸を残さねばという使命感から。このまま営業を続けて倒産した場合、旧邸を残す力が会社に残っていない。まだ余力があるうちに閉館を決め旧邸の保存に尽力したい。それを決めてくれたご主人の社長に感謝をしているということでした。
私が印象的だったのは、閉館を決めてほっとしたという言葉でした。インタビュー記事は現在もウエブでご覧いただけますので、ぜひご高覧ください。
記事は、その日のうちにYahoo!やNifty、MSNと影響力あるウェブ媒体に転載され、多くの方に読んでいただきました。
もっと広くこの事実を伝えたくて、記事を読んで共感してくれた方に拡散の協力をお願いしました。最も力強く応援してくれたのが茂木健一郎さんでした。茂木さんとは「お風呂と脳のいい話」という対談本を共著で出したことがあります。茂木さんは芸術を心から愛し、困っている人を助けるというお考えがある方なので快諾してくださり、茂木さんのツイッターの146万人のフォロワーに記事をご紹介くださいました。
森鷗外旧邸の話題ですから、大手新聞各社、ニュース番組でも多数報道されました。こうして話題になることで、ひょっとしたら鷗外の旧邸の保存につながるかもしれない。いまはそれを切に祈っています。
私が心を動かされたのは、みさ子女将の直筆のお手紙ににあった「私どもには鷗外荘を守っていく使命があります。お力をお貸しいただけるとうれしいです」という言葉でした。私の力では何も変えられませんが、みさ子女将のお気持ちを伝えることはできました。
皆さんも「助けてほしい」とSOSを出してください。そのSOSが具体的なら具体的なほど、どなたかが動いてくれるかもしれません。
みんなで乗り越えましょう。
私は、皆さんの伴走をするつもりでいます。
(温泉エッセイスト)