【山崎まゆみの「ちょっと よろしいですか」60】家族旅行の尊さ 温泉エッセイスト 山崎まゆみ


山崎氏

 父が永眠しました。

 享年81歳でした。ここ数年はサービス付き高齢者住宅に入っていましたが、新型コロナウイルスがまん延する前までは、ちょくちょく自宅にも帰っていましたし、私も帰省すれば一緒に過ごしました。温泉旅館に行った思い出もあります。

 しかしコロナ感染防止のため、高齢者住宅側の方針で、父は一切の外出ができなくなりました。また私も、間質性肺炎を10年ほど患っていた父が外出することを望みませんでした。看護師さんが常駐する高齢者住宅に父がいることで、どれほど安心だったでしょう。

 ただ、昨年末からのコロナ感染拡大、そして今年に入り再度の緊急事態宣言発出により、父は外出だけではなく、対面の面会ですらかなわなくなりました。

 度々、オンライン面会はしていたものの、高齢者住宅から全く出られないこと、母にも会えないことで、父に疲れが見え始めたのはほんの1カ月前です。私が「お父さん、ワクチンを打てば、また温泉行けるから、あとちょっとだから」と励ますと、父も「あと少しだな」とその時を切望していました。

 ただ、日に日に父の言葉数が少なくなり、私が最後に見た父は、以前に温泉旅館で撮った家族写真をじっと見つめる姿でした。

 父はお昼の12時に亡くなったのですが、その日の早朝に、私はYahoo!ニュース個人のページに、「親孝行温泉」マニュアルの記事を投稿していました。父との温泉旅行は私自身が待ち望んでいたことだったのです。それなのに…。

 もう一度、最後に父と温泉に行きたかった。こんなにバリアフリー温泉を取材していながら、最後に父を温泉に入れてあげることができなかった。きっと私はずっとその気持ちを抱き続けるでしょう。

 父の遺影には、一緒に温泉旅行に行き、旅館をチェックアウトした直後に撮った写真を選びました。父の表情はゆるみ、目じりが垂れています。一方で口角はあがり、どこか誇らしそうです。私の知り合いの旅館に泊まったので、「山崎さんのお父さま」と呼ばれたことが、とてもうれしかったのだと思います。

 いま、そうした父との温泉旅行の思い出が詰まった数々の写真を眺めています。

 父の死は、全く心の準備ができていない、とても急なことでした。いまだ現実を受け入れられないままですが、父が私に教えてくれたことがあります。それは温泉旅館に行くと、人はやっぱり特別な表情を見せるということです。幸せなひと時を共有できる場所が、温泉旅館なのですね。

 3月9日に観光庁による「ユニバーサルツーリズム促進事業 オンラインシンポジウム」が開催されました。バリアフリー旅行サポート体制の強化にかかわる各地の実証事業の結果報告や車いすユーザーのアイドル・猪狩ともかさんのご講演、そして私がモデレーターを務める無料オンライントークセッションが無事に終わりました。

 実はこの日は父のお通夜でしたが、父との温泉旅行の思い出を胸に、モデレーターの仕事を全うさせていただきました。

 桐ダンス製造販売業を営み、職人だった父は、私とは生きる世界が全く異なりましたが、仕事で困ったことがあると私はいつも父に相談していました。

 その都度、世の中の道理を教えてくれたのです。読書家の父は私の原稿をよく読み、的確な感想もくれました。また、この日のシンポジウムも父はとても楽しみにしていました。大変私事ではございますが、何よりもの供養になりました。

 皆さまに、深く感謝を申し上げます。

 (温泉エッセイスト)

 
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