2010年12月に始まった「バス事業のあり方検討会」は、東日本大震災による中断を経て、12年4月3日、最終報告書を発表した。
高速バス分野では、高速乗合バスの制度を営業面のみ高速ツアーバス並みに柔軟に変えたうえで、高速ツアーバス業態は実質的に禁止され、運行面の制度が厳格な高速乗合バスに移行する、というものであった。また、この移行に際してのみ、停留所確保の調整を、国土交通省が中心的に行うともされた。
一連の作業とその結果、一本化された高速バス事業全体を「新高速乗合バス」と呼ぶ。
高速ツアーバス連絡協議会の顧問を引き受けていた筆者の次の大きな仕事は、停留所調整など高速ツアーバス各社が高速乗合バスに移行する作業の支援をすることだった。期限とされた約2年という期間は長くはないが、ゴールが見えたことにホッとした。
報告書の発表を受け、既存の高速乗合バス各社には、多少の危機感が広がった。これまで無法者呼ばわりしていた相手が、自分たちと同じ土俵に乗ってくるというのだ。ある種の既得権である「停留所」を、彼らのために国が工面するとまで決まった。「藪をつついたら蛇が出てきた」のではないか、というのである。
ところが、最終報告書発表から1カ月も経たない4月29日未明、とんでもないことが起こった。群馬県藤岡市内の関越自動車道を走行していた高速ツアーバスが、運転手の居眠り運転により防音壁に激突、乗客7人が死亡するという大事故が発生したのである。
それどころか、企画実施会社の不誠実な対応や、会社としての体をなしていない貸切バス事業者の実態などが明らかとなり、連日、さまざまなメディアで報じられた。当然、当事者だけの問題だとは捉えてもらえない。高速ツアーバスという業態にも注目が集まった。
さらに、連休が明けて国会が再開されると、そちらでも大きな問題となった。
連日、各メディアの取材に対応しながら、緊急の再発防止策を策定するなど、高速ツアーバス連絡協議会は嵐のような最後の1年間に突入することになった。
(高速バスマーケティング研究所代表)