「いい意味で自分のことしか考えてない人たちの中にいるほうが楽だなあ。日本はやっぱりまだマスクなんかしてるんだ」。
2年ぶりにイタリアから帰国した友人と訪れたのは、共通の友人が経営するトスカーナ料理のおいしいお店。料理長が「これを食べなきゃ」と薦めてくれたのはビステッカ・アラ・フィオレンティーナという肉料理。そして、友人が勝手に抜栓してカウンターに置かれたのはいつものマキャヴェリ・キャンティ・クラシコ。「男は肉とマキャヴェリをやりながらマキャヴェリに思いをはせるべし」とのオーナーの口癖を何度聞いたことか。いつものように初秋の夜は更けてゆく。
ニコロ・マキャヴェリ(1469~1527)は500年前のイタリアはフィレンツェ共和国の政治家・思想家・哲学者。「君主論」の著者としても有名だ。余談ではあるが、マキャヴェリ家はワイン醸造家で現在のマキャヴェリ・ワインは彼が君主論を執筆した家の地下室で熟成されているという。
話を戻す。君主論の中で最も記憶に残るのは「いかなる分野でも共通して必要とされる重要な能力が、ひとつある。それは想像力である」という言葉。
人は誰でも必ず壁に突き当たる。壁に突き当たったとき、疑問を抱く。その疑問を解決しようとしてさまざまに努力する。多くの場合、解決せず苦悩する。そして、突破するには想像力に訴える他はないことに思い至る。その想像力を養うには、訓練が必要。肉体を鍛えるのと同じだ。何度も壁に突き当たり疑問を抱き、それを解決しようと想像力を巡らせ続けるのだ。
キャリアを有した勉強のできる人たちが、往々にしてうまくいかないのはなぜか。エリートがゆえに「壁↓疑問↓想像力発揮」という経験がほとんどないからではないか。家庭生活も社会生活も、ましてや会社経営も「想像力の発揮」なしに前に進むことはできない。
もう一つ大切なこととして記されているのは軍事力の重要性。「安全を守る力」と置き換えるといいだろう。君主に必要なものとして法律と軍備が挙げられる。軍備について、傭兵軍ではなく常備軍、騎兵ではなく歩兵が重要だと続く。また、訓練については錬度に合わせて段階的に実施すべきだとも説かれている。
加えて、司令官の軍事的統率能力の重要性が説かれる。血筋や権威ではなく、勇気や善行が統率力を強化するとされ、演説の能力も求められるとされる。昨今のこの国の進むべき方向を示しているとさえ思える内容で、経営に置き換えても誠に含蓄のある話だ。
「君主論」は彼の失脚時代にぶどう園に囲まれた実家で、昼間は使用人や農民と戯れながら、夜になると机に向かい執筆されたものだという。その家は現在もその子孫に受け継がれ、とても優れたワインを醸造している。彼は追放の身となりながらも、理想の国家像を追い求め「壁↓疑問↓想像力発揮」のサイクルを不断に回し続けていたに違いない。赤いワインを友として。
(EHS研究所会長)