歴史と文化が香る美しき犀川のほとり
東京から北陸新幹線で2時間半。望郷の思い湧く年末年始、「遠きにありて思ふもの」と詠った室生犀星のふるさと金沢に行った。
ご存じ金沢は江戸時代、百万石を誇った加賀前田藩の城下町。小高い小立野台地に金沢城や兼六園、周辺のビルの街に今も武家屋敷や茶屋町、寺町、紅殻格子の商家が残り、伝統工芸や伝統文化が色濃く息づく。
この趣深い町に安らぎと潤いを添えるのが東の浅野川と西の犀川。畔には徳田秋声、泉鏡花、室生犀星らの文学者が育った。とりわけ犀川は河畔の雨宝院で幼少年期を過ごした詩人・小説家の室生犀星が、こよなく愛したふるさとの川だ。
私生児として生まれた彼は生後すぐにこの寺に貰われ、住職・室生家の養子となり、気性の激しい継母に育てられた。高等小学校中退後、裁判所の給仕時代に触れた俳句を契機に、文学の才能を開花させる。
雨宝院の本堂の一角に展示する犀星の手紙や書籍を見ていると、生活や作品の背景がおぼろげに浮かぶ。
歩いて2分の生誕地跡の室生犀星記念館に寄って自筆原稿や書簡、遺品などで生涯や作品をなぞる。萩原朔太郎や芥川龍之介ら幅広い交友や家族、動物、庭づくりを愛したことも知った。
そのあと、桜と柳並木の「犀星のみち」を犀川を眺めながら歩いた。手桶で水を汲む辛い日課もあったが、澄み透った水や瀬音、上流の山の風景を「うつくしき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ」と愛した。
雛人形を象った赤御影石の「あんず」の詩を刻んだ愛らしい犀星詩碑を見て、桜橋から左岸をたどって犀川大橋にたたずんだ。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたうもの」と詠み、東京に邸宅と軽井沢に別荘を構えた犀星だが、金沢にはしばしば帰郷。あの詩は出自への苦悶とよき思い出の間の心の揺れだったのだろう。
今、犀川上流の医王山は晴れれば、青空に白銀輝く季節である。
(旅行作家)
●金沢市観光協会TEL076(232)5555