多様な地域の個性が「温泉文化」 温泉の価値を見つめ直す機会に
日本温泉協会は、6月25日に岡山県・湯原温泉で開いた2023年度会員総会に併せて「温泉文化」をテーマにしたシンポジウムを開催した。高崎商科大学特任教授の熊倉浩靖氏をコーディネーターに、パネリストとして、岡山県・湯原温泉の古林裕久氏(プチホテルゆばらリゾート)、岡山県・奥津温泉の鈴木治彦氏(奥津荘)、兵庫県・有馬温泉の金井啓修氏(陶泉御所坊)、秋田県・乳頭温泉郷の佐藤和志氏(鶴の湯温泉)の4人が登壇。それぞれの地域の温泉に関わる文化、「温泉文化」のユネスコ無形文化遺産の登録に対する期待や課題について意見交換した。シンポジウムの主な内容を紹介する。
熊倉 「温泉文化」のユネスコ無形文化遺産への登録を進めるに当たって四つの課題が挙がっている。一つ目は、世界の皆さまに分かってもらえるよう、日本の温泉文化をどう定義すればいいのか。二つ目は、登録には温泉文化が日本で守られていることが前提で、日本で守られていてもなお多くの問題に直面しているから、ユネスコ無形文化遺産に登録して世界で共有する必要性があるということをいかに明確にするか。三つ目は、国内法で温泉文化がどう保全されていくのか。四つ目は、温泉関係者だけではなく、温泉を享受する日本国民の社会的な関心として、どのように国民的な運動として形にするか。登録に向けて、知事や国会議員の方々がさまざまな形で動いてくださるのは大きなことだが、私たちは国民的な運動として、温泉の文化や歴史を共有し、大きな力にしていく必要がある。そこでまずは各温泉地の現状についておうかがいしたい。
コーディネーター 高崎商科大学特任教授 熊倉浩靖氏
古林 湯原温泉(岡山県真庭市)の知名度はまだまだ低いが、旅行作家の野口冬人先生が「全国露天風呂番付」をつくった際、「西の横綱」に湯原温泉を選んだ。それを機に全国に知られるようになり、温泉を軸に地域がまとまった。語呂合わせで6月26日を「露天風呂の日」に制定している。
高速道路の整備などで交通アクセスは良くなったが、社会情勢の変化で団体旅行は減少した。昔は旅館が30軒ほどあってにぎやかだったが、今は静かな落ち着いた雰囲気の温泉地だ。家族営業、従業員の少ない施設を中心に、きめの細かいサービスも始まってきている。温泉だけでなく、当地に生息するオオサンショウウオを使ったPRなどで町おこしをしている。
湯原温泉はどんなところかという質問に、地域で働く私たちがきちんと答えられるようにするため、父の古林伸美が「温泉指南役」という資格をつくった。温泉指南役は、温泉の効能や健康増進の知識、万一の事故に備えた救急法、温泉地の歴史などを学んで認定する資格で温泉地づくりに生かされている。
最近では、「温泉むすめ」(全国の温泉地をモチーフにしたキャラクター)をPRに活用している。昔は地域のストーリーを本などで伝えてきたが、最近では映像やキャラクターによる発信が増えてきた。湯原温泉の「温泉むすめ」のキャラクターをよく見ていただくと、アルカリ性の泉質の影響で髪の毛先の色が変わっていたり、たたら製鉄の歴史を踏まえた金属パーツや「温泉指南役」のマークも身に着けていたりする。最初は雰囲気に合わないかと思ったが、こういうキャラクターを使ったPRで新たなターゲットの獲得を目指している。
今、若い世代が旅館をやりたい、町づくりをやりたいと湯原に帰ってきている。アイデアもたくさん出ているので、いろいろな温泉地の話を聞き、湯原温泉の町づくりに役立てたい。
岡山県・湯原温泉 プチホテルゆばらリゾート 古林裕久氏
鈴木 私たちの奥津温泉(岡山県鏡野町)は、湯原温泉から東に約20キロほどのところにあり、湯原温泉とは文化も泉質も似ているところがある。旅館の軒数は8軒で、うち半数は民宿。温泉は配湯ではなく、ほとんどそれぞれの自家源泉で、私の奥津荘は足元湧出でpH9・1のアルカリ性の温泉となっている。
奥津温泉には「足踏み洗濯」という郷土の風習がある。洗濯機や洗剤のない時代に、吉井川沿いの温泉が湧いている場所で、アルカリ性の高い温泉を使って洗濯をしていた。しゃがんで洗濯をすると、獣が出てきた時にすぐに逃げられないということで、女性たちが立ったまま足で洗濯することから「洗濯ダンス」とも呼ばれている。今、足踏み洗濯を実際している方はわずか3人の女性だけ。若い頃に奥津温泉に嫁に来て、おしゅうとめさんから習った洗濯が習慣になって今でも続けている。観光客のお客さまに披露するイベントも行われており、イベントとは別に、実際に洗濯されているところに宿泊客のお客さまをご案内することもある。こうした地域の文化に触れていただけるような機会も創出している。
岡山県・奥津温泉 奥津荘 鈴木治彦氏
金井 有馬温泉(兵庫県神戸市)は、標高千メートルぐらいの六甲山の北側、標高400メートルぐらいのところに湯が湧いている。例えば、妬(うわなり)泉源では、200メートルぐらい掘削しているが、100度の湯が湧いている。六甲山周辺には火山がないのに、高温の温泉が湧いているのがおもしろいところ。かつて都があった飛鳥も、奈良も、京都も、大阪も、火山がなく、温泉は湧いていない。しかし、有馬温泉では高温の温泉が自噴していた。だから都の人たちは温泉に入ろうと有馬を訪れた。歴史上、名のある人たちが有馬を訪れた記録があるから、日本で一番歴史のある温泉地といわれる。しかし、当たり前に考えれば、「日本書紀」に記録がある西暦631年に舒明天皇が有馬に来る以前から、有馬に温泉は湧いていた。有馬温泉の北の方には、古墳や住居跡があり、以前から集落も形成されていた。有馬温泉は、歴史に書かれてない、もっと深いことを突き詰めていくのがおもしろい。
一方で困っていることもある。有馬温泉というは1辺の距離が約1キロの三角形をした狭い温泉地だが、芸妓さんがいて、寺が7軒もある。ここには他の温泉地にはないと思うが、「ゲイバー」と「メイドカフェ」がある。ゲイバーは芸妓さんがいるバー、メイドカフェは冥途に近い寺にあるカフェ(笑い)。寺は維持管理が大変になっているし、有馬の芸妓文化も守っていきたい。そこでバー、カフェができた。今、芸妓と寺をどう活性化させるかが有馬温泉の悩みだ。
ちなみに有馬になぜ寺が多いかというと、病院のない時代、有馬温泉に入って病を治そうと人々がやって来る。残念ながら亡くなる人も出てくるので、各宗派の寺が必要になった。有馬には、病を治そうという人が通る道と、亡くなった人の葬式を出すための道も残っている。亡くなった人の物や着物を扱ったであろう質屋の屋号とみられるものもいくつかある。こういったことも一つの温泉文化だ。
兵庫県・有馬温泉 陶泉御所坊 金井啓修氏
佐藤 乳頭温泉郷(秋田県仙北市)は、奥羽山脈の秋田駒ケ岳、乳頭山という山の麓にあり、那須火山帯に含まれ、熱い湯が自噴している。温泉宿は7軒あり、それぞれに源泉があり、泉質も異なる。当館、鶴の湯温泉は6カ所からお湯が湧いているので、それぞれ微妙に泉質が違っている。
鶴の湯温泉には、鶴が傷を癒やしたという由来があるが、青森県の酸ケ湯温泉ではそれが鹿だったりと、温泉にはそういうストーリーもある。動物に効くのであれば、人間にも効くということだと思うが、乳頭温泉郷は7軒全てが湯治場だった。私は、今の温泉をやるようになって43年になるが、43年前は鍋、釜、ふとんを持って自炊をするというのがほとんどだった。湯治は、本来は田植えが終わった後や、稲刈りが終わった後、1カ月ぐらいゆっくり温泉に入って体を癒やすというものだった。乳頭温泉郷の7軒のそれぞれの温泉の効能は、お客さんがそれぞれに長い間に口伝えされ、今回はここの温泉というように、医者の代わりではないが、生活の知恵として温泉を利用してきた。
温泉はただのレジャーではなく、体に効くという部分がある。温泉の利用の仕方にも、掛け湯とか、打たせ湯とか、時間をおいて入るとか、いろいろある。生活の知恵として多様な温泉文化が残っているので、それを残しつつ、やはり体に良いということを伝えたい。温泉にはさまざまな物語があるということをユネスコ無形文化遺産への登録を通じて若い世代にも伝えていければと思う。そして日本人だけでなく、外国人にも温泉を楽しんでもらいたい。
秋田県・乳頭温泉郷 鶴の湯温泉 佐藤和志氏
熊倉 登録に向けて、日本の温泉文化をみんなが共有できる物語にするにはどうすべきか。
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