私は神戸生まれの神戸育ちで、幼い頃からいつも海を見ながら暮らしていた。やがて海の向こうの南太平洋への興味がわき、1969年にニュージーランドのオークランド大学に留学して本格的に文化人類学を学んだ。70年代にはミクロネシアのマーシャル諸島や中央カロリン諸島などで伝統文化の調査研究を行った。
80年代に入って、観光開発の負の側面を知ってから観光研究の必要性を意識するようになった。当時の南太平洋では「楽園観光」の旗印の下で先進諸国による観光開発が盛んであった。一言で言うと「先進国の、先進国による、先進国のための観光開発」であり、強い違和感が生じた。空港やホテルや道路が建設されて自然が壊され、島の人々は下働きばかりでまともな仕事につけなかった。観光開発で利得が生じても先進国に還流するので、島の人々には負のインパクトが残るだけだった。いわば「新・植民地主義」といえるような観光開発に伴う負のインパクトを告発するのが、私にとっての最初の観光に対する問題意識であった。
私は南太平洋が大好きなので日本の中で一番好きな地域の一つは沖縄であり、これまでに何度も訪れた。北海道に移住してから沖縄を訪れる機会が減少し、寂しい思いを感じていたが、今年1月に沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)が新しい時代の旅のかたちとして「おきなわエシカルトラベル」を提唱し、沖縄各地で軌道に乗りつつあることを知って、うれしく感じている。
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