本稿の脱稿寸前に衆院選の開票結果(自公与党の過半数割れ)が判明した。世界が不安定化・混迷化する中で日本政界の大変動が明らかになり、日本の近未来に大きな不安を感じている。
先日、日本全国の被爆者でつくる「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に対して今年のノーベル平和賞が授与されたのは慶賀すべき出来事であった。被団協は1956年に結成され、「ノーモア・ヒバクシャ」を訴え続け、2017年の国連の「核兵器禁止条約」採択を実現させた。長年にわたる運動の成果がノーベル平和賞として結実したことは素晴らしい。一方で、被団協と同様に、長年にわたって解決困難な国家的課題(北方領土返還)について運動を続けておられる元島民のことを思うと胸の痛みを禁じ得ない。
1855(安政元)年に日魯通好条約が調印され、日露の間で通商が開かれるとともに、両国国境が択捉島とウルップ島の間と定められた。この条約によって択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の北方四島は日本領土と確定した。ところが、第2次大戦の最末期にソ連は日ソ中立条約を破棄して対日参戦し、北方四島を占領した。当時四島全体で約1万7千人の日本人が居住していたが、全員強制退去させられ、ソ連は1946年に四島を自国領として編入した。それ以降、ソ連・ロシアによる実効支配が継続。
されど、64年から元島民による北方領土墓参が始まり、92年からはビザなし交流が認められ、99年からは自由訪問も始まった。安倍晋三氏は首相在任中にプーチン露大統領と会談を重ね、2016年の山口の会談では北方四島における共同経済活動(海産物の共同養殖、温室野菜栽培、風力発電、観光ツアー開発など)が検討され、「国境観光」への関心も高まった。
また、18年のシンガポールでの日露首脳会談では、1956年の日ソ共同宣言(平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本へ引き渡す)を基礎に北方四島返還ではなく、二島返還への転換が検討された。
しかし、ロシアによるウクライナ侵攻によって、日本はロシアに対して経済制裁を科し、ロシアは日本を「非友好国」に指定した。その結果、日露関係は戦後最悪の状況に至っており、北方領土返還は絶望的になっている。元島民の平均年齢は89歳になっており、生きているうちにもう一度、故郷の島で墓参を行いたいと切望しておられる。
ところが、昨年10月の内閣府世論調査では、北方領土問題を「知らない」との回答が36%になり、10年前と比べると倍増している。国民の関心低下は深刻であり、国は返還運動を継承する若い世代の育成に本腰を入れる必要がある。核廃絶を訴える被団協の活動においても中核を担ってきた被爆者は高齢化しており、若い世代に受け継がれていく必要がある。
「平和産業」としての観光産業は、世界平和の実現に貢献すべきであり、日本の国家的課題としての北方領土返還運動や核廃絶運動に関心を抱く若者たちを鼓舞し支援することも貴重な社会的貢献になり得る。
(北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授)