多くの人が旅に出るきっかけは、行ったことのない場所へ行ってみたい、知らないことを体験してみたいという想いだろう。だから旅行先には、そうした想いを実現できる魅力的な観光資源が充実した所が選ばれる。辞書によれば「観光資源」とは「観光客を集めるのに役立つ、景色・風物・史跡など」とあるが、筆者のような食いしん坊にとっては、その土地のおいしい物を食べてみたいという想いも決め手の一つ。毎年冬になると、兵庫県の津居山蟹や、福井県の越前がに、石川県の加能ガニなどを食べに出掛ける。蟹が目的で旅に出るのだから、蟹という食材が観光資源ということになる。
だが、どこにでも客寄せパンダになるような食材が転がっているわけではない。
先日、山梨県の河口湖畔にある「富士レークホテル」を訪ねた。富士山や河口湖など、景色は最高だし、温泉もある。遊覧船や美術館など、観光客向けのコンテンツにも事欠かない。冷え込む冬季の週末には、「冬花火」も打ち上げられる。あとはおいしい食べ物があればカンペキなのだが、夕食時に同館の井出泰済社長に伺ってみると、残念ながらあまり食材には恵まれていないのだという。
活火山の富士山は、過去には何度も噴火したことがある。昨年刊行された『富士火山地質図(第2版)』によると、溶岩が流れ出す規模の噴火が過去2千年間に少なくとも43回あったという。つまり、富士山周辺一帯は溶岩地質で、農業には適さないのだ。
だが、ここにはきれいな水があった。その水を利用して酒造りをしているのが、同館に程近い、富士五湖唯一の酒蔵「井出醸造店」だ。
21代目の井出與五右衞門社長は、泰済社長の縁戚にあたるという。昨年ロンドンで開催された「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」の「SAKE部門」で、同社の「甲斐の開運特別純米北麓」が見事金メダルを、「甲斐の開運大吟醸」が銀メダルを獲得した実力派。
ご紹介いただいて酒蔵見学にお邪魔した際、ちょうど米洗いの最中だった。極寒の中、冷たい水で米を手洗いする作業は、見ているだけで手の先が冷たくなりそう。でも、「大吟醸のように精米歩合40%程度の米はデリケートなので、水に手を当てて柔らかい水流にしてから流さないとダメ」と與五右衞門社長は言う。
そうして大切に造られたおいしいお酒が身近にあるのだからと、それを料理に使うことを思いついた泰済社長。それが、特製の卓上蒸し器で供される「開運蒸し」だ。下の段にお酒を入れて火を点けると、上の段の底の穴から日本酒の湯気が出て食材が蒸される仕組みである。
食事中に、冬花火が上がった。眼前の空に輝く色とりどりの光のシャワーに一同拍手喝采であったが、筆者は心の中でこの料理に拍手を送っていた。工夫次第で、地元ならではの料理が提供できるのだ。お客さまの口福のひと時のために、考えられることはたくさんあるのだと教わった。
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。