3回目の緊急事態宣言の、2回目の延長が決まった。4月に概要が分かった時は耳を疑った。飲食店の酒類提供禁止って、ナニそれ? 呑兵衛の筆者にとっては大きな問題だ。自分が飲むだけでなく、飲食店でお酒を提供する側でもある。商売するなってこと?
なかなか予約の取れない鰻(うなぎ)屋さんに行くと喜んでいた知人が、キャンセルしたという。「酒を飲まずに肝焼きが食えるか! あと3日だったのに!」と悔しそうだった。注文が入ってから鰻をさばくようなお店では、鰻が出て来るまで小1時間ぐらい待つ覚悟が必要だが、その間ちびりちびりとやりながら、う巻きやうざくをいただくってのが、呑兵衛の愉(たの)しみ。飲めないとなると、話が違う。
お蕎麦(そば)屋さんにも、「ぬき」という食文化がある。種物の蕎麦を抜いたモノで、天麩羅(てんぷら)蕎麦なら蕎麦抜きの天麩羅を、お酒のツマミとして先にいただいてしまうというワケ。全部一遍に提供されると、お酒を飲んでいる間に蕎麦がのびてしまう。種だけでゆっくりお酒を愉しみ、後から蕎麦をすすって帰るというのが、江戸っ子の粋なのだ。
食通として名高い作家池波正太郎先生の「散歩のとき何か食べたくなって」に、「蕎麦やへ入ったからには、一本の酒ものまずに出て来ることは、先ずないといってよい。のまぬくらいなら、蕎麦やへは入らぬ」とある。そんな飲食店ならではの呑兵衛の悦楽が奪われてしまった現状は、「令和の禁酒令」ともいわれる。人前で宗教と政治の話をしてはいけないと教えを受けた筆者、公の場で意見を述べるのは控えるが、残念の一語に尽きる。
いくら家飲みが充実していても、しょせんお店とは違う。例えばスーパーで鰻を買うと、筆者は一度お茶で煮る。脂っこいときはウーロン茶、でなければ緑茶で煮てから、改めてタレを塗ってオーブンで焼くのだ。涙ぐましい努力の結果、それなりに美味な鰻には化けるが、お店の物とは月とスッポンだ。先日は無性に砂肝が食べたくなってスーパーで買ってきたが、銀皮をむくという下ごしらえの段階で疲れ果ててしまった。
お店に行かねば味わえないモノが、いかにたくさんあるかに気付いた。星付きレストランの美しい前菜や、会席料理の四季を表現した盛り付けは、家庭ではまねできない。中華のチンジャオロースーやマーボー豆腐なら作れるが、フカヒレの姿煮は難しい。フレンチのダブルコンソメも、素人にはキビシイだろう。鰻、蕎麦、焼鳥、寿司(すし)、天麩羅、豚カツ、ラーメンなど、いわゆる専門店のお料理も、いくら頑張ったってプロの味には程遠い。
モチロン、飲まなきゃ食べに行けるのだが、それって愉しみが半減どころか激減してしまう。池波先生じゃなくても、飲まぬくらいなら行かない方がマシ。
他にも、お店でないと職人の技術が堪能できないのがカクテルだ。「クラブ・ラングーン」が食べたくて作ってみたが、一緒に飲みたかった「マイタイ」まではムリ! 続きは次号で!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。