代替品では満足できない
コロナ禍、「Go To」キャンペーンで観光業が少しでも活気を取り戻すことを願っていたが、現状は厳しかったようだ。関係者の話では、人々はGo Toキャンペーンを使って、ここぞとばかりに高級店を目指すらしい。いつかは泊まってみたか1った噂の高級な宿が、安く泊まれるからであろう。これについては、否定も批判もするつもりはない。なぜなら、私もその一人かもしれないからだ。日本の観光業は、これまでは、うなぎ上りに「数的」成長を遂げてきた。しかし、その裏では旅館の数は減少をし続け、ここ10年間で半減している。特に地方の小規模旅館の減少が目立つ。今、本当に困っているのは、地方の小規模宿ではないだろうか。しかし、人々は、彼らにまで救いの手を差し伸べようとはしない。結局、人は、代替品では満足ができないからであろう。
旅行事業者の当事者意識が地域を救う
そこで問われるのが、旅行事業者(特に、旅行会社)の「社会性」である。旅行会社の社会性とは、企業としての営利を追求しながらも、人々や地域社会の発展に企業としての責任を負う「企業の社会的責任(CSR)」のようなものである。いうならば、旅行会社の地域社会への貢献である。例えば、旅行業者が地域社会と連携し、旅行者に対して、経営に苦しむ小規模零細宿の利用を促す。地域の発展を慮ること、これが地域社会の一員であるという「当事者意識」というものである。皮肉な話だが、オーバーツーリズムにおいても、送客数のコントロールや他の観光地への誘導など、観光の過剰を防ぎ、地域社会の持続的な観光発展を図るうえでは、旅行会社の責任は大きい。このような活動は、旅行会社にとっても、新しい観光商品の発掘や新たな顧客ニーズの把握による事業の多角化が図れる。リスクヘッジのための業態を跨ぐ多角化もあるだろうが、旅行業を継続していくうえでは観光対象や目的地の多角化も重要である。観光は、外部的・内部的なさまざまな影響を非常に受けやすい反面、強い回復力も兼ね備えている。2001年のアメリカ同時多発テロ、2002年のSARS、2012年のMERS、2009年のリーマンショック、2011年の東日本大震災など、観光は幾度となく大きな打撃を受けてきた。しかし、その影響は一時的な現象に過ぎず、回復は早かった。ところが、今回のコロナ下では、観光の脆弱さが如実に現れ、危機的な状況が続いている。観光が本来の生命力を吹き返してくることを待ち望みながら、今は「新しい観光」を模索する他ない。従来は観光の対象とされていなかった身近な観光・小さな観光の拡大は、将来押し寄せるかも知れないオーバーツーリズムを防ぐ試金石になるかも知れない。