【観光立国・その夢と現実 46】旅館創業者の精神性(4) 小原健史


 旅館創業者の精神性として私の父の若い日々を記載し、事業成功の可否のポイントを書き述べている。

 父・小原嘉登次は、材木の切り出し、運搬を手始めに次第に周辺分野のトラック輸送業、建築請負業などへ事業を拡大していった。

 しかし、お世話になった警察署長の誘いを断り切れず、まずは「和多屋旅館」の検分に行った。町中の共同浴場“古湯”の隣で建物は木造2階建てで“ロ”の字型でがっちりした造りである。また、使用されている材木も専門家の目から見ても質の良いものである。わずか10室であるが和室のたたずまいは質が高い。内覧をするうちに次第に嘉登次は「ここは、高級旅館として売れそうだ!」と感じていた。

 調理場に入り、什器を見ると鹿児島の薩摩藩の“マルジュウ”の印が一つ一つに入っている。すぐに案内をしている番頭さんに「この印は?」と質問すると「はい、和多屋旅館は目の前に長崎街道が通っていて、長崎の出島に通う薩摩藩島津の侍がよく利用する御用宿だったと聞いています。その島津の“マルジュウ”の印を入れた器が、今でもたくさん残っています。そして、その頃に屋号も“綿屋”から“和多屋”に変わったと聞いております」と番頭は饒舌(じょうぜつ)に語った。

 嘉登次は内心(人の和が多い宿か! “マルジュウ”の印も良し! この旅館は買った)と心の中で即断した。当時は、現代のようにインターネットでさまざまな情報を即座に入手できるような環境ではない。よって嘉登次は〔モノを買う時は、その商品の内容をよく理解して納得して買うこと〕と決めていたが、この考え方は現代でも十分通用する。

 小原製材所に戻った嘉登次は、警察署長から紹介されていた周旋屋に連絡をとった。数時間後、嘉登次は周旋屋に言った。「和多屋旅館を見に行ったけど、あまりパーッとせんなあ! しかし、署長から頼まれとるから無下にもできん。ところでその旅館は、いくらするとね?」と尋ねた。周旋屋はすぐに「旦那さん、土地と建物で1万円と言うてます」。嘉登次「そりゃあ高い、高い、そいじゃ話にもならん! そんな高かったらもういらん、帰ってくれ!」と芝居気たっぷりに追い返そうとする。周旋屋は簡単には諦めない。「旦那さん、1万円が高いならいくらやったら買いますか?」と聞く。嘉登次いわく「そうやな、半分の5千円やったら買うてもよか。それより高かったら、買えんな!」と他の仕事に手を付ける。粘る周旋屋に嘉登次は次の言葉をぶつけた。「亡くなった母親は〔知らずば半値〕と言うてな、買う品物の価値がわからん時は、相手の言い値の半分で買え!」とキツク言われとったもんな。だから半値たい!」。それを聞いた周旋屋は「おふくろさんは、すごいことを言う人だったんですね! わかりました交渉してみます」…。

 そんなやり取りがあって、結局、嘉登次は現金5千円に少し上乗せして什器備品、そして米櫃(こめびつ)の中まで一切のものを持ち出さない条件で、和多屋を居抜きで買った。

 嘉登次は、木材の切り出しと運搬で一定の事業を構築している中で、全く異業種の“旅館業”をこのようにして始めることとなったが、この時は昭和18年で太平洋戦争の情勢は日本軍に次第に劣勢になっていった。

 
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