令和6年元旦に発生した石川県能登半島を主とした大地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げ、また、被災された多くの方々、特に旅館ホテル業界の皆さまに心からお見舞いを申し上げますと共に一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
今回は「旅館創業者の精神性」はいったん棚上げし、13年前の東日本大震災の地震と津波の大災害の直後の旅館業界の対応について、特に旅館ホテルを2次避難先とした際の経緯について述べ、能登半島地震対策に何らかのお役に立てばと思い記載したい。
東日本大震災発生直後、城崎温泉の西村肇先輩が西日本各地の主だった旅館経営者を大阪に集められ、緊急にやるべきことをその場で手分けし、私は新大阪駅から新幹線で上京、全旅連会館に直行した。その時の東京は余震が続き揺れに揺れる中で、当時の清沢専務と厚労省の災害対策本部に直行した。事前に当時の全旅連会長の佐藤信幸氏に国交大臣から「20万人の被災者を旅館ホテルに避難させたい!」との依頼があって、その具体的な内容を生活衛生課長と取り決めた。
まず、被災者の2次避難所として旅館ホテルを活用し【1家族単位で1客室に配宿】を決めた。それは一時避難所の公民館や学校等の硬い床では十分な睡眠もとれず、また段ボール等で仕切る程度ではプライバシーはなくセキュリティーにも大きな問題がありさまざまな深刻な事件事故が想定され、実際に発生していたので移動を急ぐ必要があった。また、この旅館ホテルへの避難の費用は被災者は無料であるが、旅館ホテル側は【恐らく半年以上の長期にわたるであろうから、旅館ホテルがもうけもしないが損もしないギリギリの金額】を巡って、すったもんだの挙句【1泊3食1名=5千円】とした。また、食事内容は【朝食はコッペパンと牛乳】【昼食はコンビニ弁当程度で、コンビニから買って提供してもよい】とし、夕食は【一般の通常料理の3分の1~2分の1程度】とした。この費用は当然ながら国から旅館ホテルへ直接支払われることになり、その情報提供も全旅連が担当せざるを得ない状況であった。今回の能登半島地震においては、その料金は1万円になったと聞き及んでいるが詳しくは、各地の旅館組合、または全旅連(TEL=03・3263・4428)にお聞きいただきたい。
東日本大震災の際のもう一つの問題点は被災者の輸送であった。観光庁と協議してJTBに依頼して該当地区のバス会社に連絡し、岩手県の被災者を秋田県へ、宮城県を山形県へ、福島県を新潟県と群馬県に運んだ。また、被災が少なかった地域では旅館ホテルの保有のバスやマイクロ、ワゴン車がより近い地域の被災者を運んだ事例も多かったと後で聞いた。特に福島県は思い出したくもない原発の事故の影響もあり、より深刻であったが会津や中通りの温泉旅館から被災者の子供たちが、避難旅館の地元の小学校に通っていて、旅館の支配人さんに「行ってきます!」と手を振って集団登校する様子、また、その子供たちを優しく見守る旅館ホテルのスタッフの皆さんの姿は、強い印象で私のまぶたに焼き付いている。
日本列島は、いつどこで地震や台風の災害が起こるか分からない。災害時や非常時に強い対応力の旅館ホテルや業界でありたい。
(元全旅連会長)