【道標 経営のヒント 283】嘆きを夢に変えたのは温泉宿 タグ広告プランナー 宮坂 登


 土曜日の昼下がり。オフィス周辺の路上で外国人7人が会話をしていた。その中にいた旧知のアメリカ人が手招きするので、その輪に加えてもらった。居合わせた全員がコロナ禍で帰国するチャンスをなくしているようであり、うち何人かは日本企業の短期契約社員として食べつないできたそうだ。しかし、数日前にその職も失った人もいるようで、話題はいつ帰国するか、だという。結論があるような、ないような話。時節柄、路上で缶ビール片手の会話では世間体もあるからと、彼らをオフィスに誘って話の続きをすることにした。

 ボンから約2年前にやって来たというドイツ人は、昨年、故郷の家族全員がコロナにかかり、心配で眠れない日々を過ごしたという。イスタンブールに日本食レストランを開業したいからと全国各地のレストランで修業を積んだり、運営会社で働いていたトルコ人は、現在、まったく働き口がなく、将来の夢をあきらめざるを得ないという。生きていくのに精いっぱいで、貯金ももう少しで尽きるという。誰もかも自分のことで精一杯で、目の前では堂々巡りの会話が続いていた。「帰国するべきだ」「いや、ここまで積み上げてきたものを無にしてしまうのはもったいない」。中には涙を浮かべている人もいた。コロナが本当に憎い、と。

 話題を変えようと、彼らに「5つ星の宿」の本を見せながら、日本の温泉宿のことに話を向けたところ、暗い雰囲気が一変した。みんな興味津々のようなので、1軒1軒どんな宿なのか説明を始めた。誰もが写真の数々を眺めながら「行ってみたい」と口にする。

 質問もユニークで、北海道ってどんなところなのか、なぜ日本にはこんなにたくさん温泉地があるのか、泊まるのにルールがあるのか、浴衣は何のために着なければならないのか、夕食のときは何から食べ始めればいいのか…、などなど珍問もいろいろ。こちらもなぜかうれしくなって、日本の宿の素晴らしさを、地図やいろいろなエピソードを交えながら紹介し続けた。先ほどまで早く国に帰りたい、と言っていた人も、帰る前に温泉宿に泊まってみたいと真剣に言い始めている。

 ページをめくりながら九州の宿まで説明をし終えたとき、全員が拍手! そして「今日、ほんの少しの時間だけでも、僕たちの気持ちを和ませてくれてありがとう」と言われた。こんな経験は初めてだったけど、「ぜひ、日本の宿を体験してほしい」と彼らに語りかけた。彼らは一様に、コロナが収束したらまた日本に来て、温泉に行ってみたいという。胸がいっぱいになる時間だった。

 
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