6月頭、ピアニストであり指揮者として活躍するダニエル・バレンボイム氏のピアノ・リサイタルが日本で開催された。世界的なクラシック界の巨匠の来日は、コロナ禍では奇跡的な出来事である。今回の来日は、賛否両論が絶えなかっただろうが、どうしてもやる必要があったと日経新聞のインタビューで答えている。
「もちろん健康が第一で、その次に経済が大切だと思います。それでも、精神世界の存続も人間にとって大切なもの。今、コロナにより精神的世界は無視されていますが、それは80年代から飛躍したテクノロジーの進化や経済発展の半面で起こった流れが顕著になっただけのように感じます。精神的世界のためには、文化が非常に重要です。特にキャリアをスタートさせたばかりの若い世代の情熱を絶やしてはいけません。そう思って、彼らのためにさまざまな支援活動も行っています」。
当日コンサートホールには、氏の活動が実を結んだ結果だと思うが、若者が多く来場していた。当然ホールは満席だ。驚いたのは、舞台に氏が登場すると、長い長い拍手が鳴り止まなかったことである。開始前に、これだけの拍手喝采を耳にしたのは初めてだった。この状況下で来日してくれた勇気をたたえる拍手、これからの演奏への期待、言葉にはできないさまざまな思いを込めての拍手だったからこそ、簡単には止まらなかったのだろう。
プログラムが突然変更となるハプニングもあったが、無事終演。厳しい世の中を忘れさせてくれるような、美しく清らかなベートーヴェンのピアノ・ソナタだった。当然、終わりの拍手は、さらに迫力があった。気付けば、ひとりまたひとりと立ち上がっての拍手。最初は、劇場の係員も止めに入ろうとしていたが、あっという間に会場全員が立ち上がっての無言のスタンディングオベーションとなった。コロナ禍では、「ブラボー」の掛け声や指笛も禁止。最上級の敬意を払うには、この方法しかないのである。止まない拍手の中で立ち上がっていると、不思議と自分までねぎらわれ、励まされているような気分に包まれた。先に述べたインタビューを、氏は、こう締めくくっている。
「簡単な道が、ベストだとは限りません。オンラインの配信は、今の時代には有益ですが、実際のコンサートも必要です。コンサートは単なるエンターテインメントではありません。演奏家と観客とが一つの音楽を分かち合うことで、コミュニティが形成される。それこそが、何ものにも変えがたい体験なのです」。
どんな状況下でも、ひとりでない。そんなことを感じさせてくれる一体感を覚えるコンサートは、今こそ必要なのではないかと思う一夜だった。