死ぬ前に、もう一度旅してみたい場所があるか。そう聞かれるたびに、迷わず答えるのがメキシコ周遊の旅である。その日に宿泊するホテルも決めずに、現地の人の薦めや数少ない情報を頼りに車で1カ月ほどかけて思いのままに回った旅。そのため、数々のハプニングに見舞われたが、予測のつかない面白さがあった。
思えば、スタートから波乱に見舞われた。搭乗予定のティファナへの直行便が欠航で、アメリカ行きに振り替えとなり、国境を徒歩で越えなくてはいけなくなったのだ。
ところが、メキシコに直行で行く予定だったため、窓口でビザの代金を求められたときに、現金が手元になかった。アメリカ側へ戻ることはできないため、メキシコにいったん出国し、現金を下ろしてから戻ってくるようにと冷たく言われた。同行者に荷物を預け、メキシコ側に出た途端、あまりの違いに驚いた。のどかなアメリカ郊外の鉄の柵を隔てただけの向こうに猥雑(わいざつ)な気配と騒音のるつぼが待っていることに動転した。国境に戻るのに10分と聞かされていたが、動揺から道に迷い、6車線ほどの大きな道路に出てしまった。見渡す限り、車の列。遠くに見えるゲートだけを頼りに、必死で6車線を渡りきり、ゲートにたどり着いた。
そこで、安堵(あんど)したのもつかの間。目の前には、機関銃を手にした米国軍が立っていた。戻れと指示されたが、同じ困難な道を戻るのはもう嫌だった。涙ながらに、ビザの代金が足りなかったために一時的に国境を越えたことを告げ、日本のパスポートを出すと態度が軟化した。その後は、彼の同僚に「彼女は、スーパーガールだよ。誰にも止められずにここまで歩いてきたんだってさ!」と笑い話にされ、親切にアメリカ側の国境へ戻る道を教えてくれた。このときほど、日本のパスポートの有り難みを痛感したことはない。
その後、バハ・カリフォルニアの縦断から始まり、ユカタン半島まで、なんとか旅を続けることができた。豊かな国と違って、ガソリンが売り切れていることもあり、次の街までアイドリングで時間をかけながら進んだり、ホテルがどこも取れず、民家に宿泊の交渉をしたり、日本では考えられない困難がつきまとった。それでも、分からないスペイン語を適当に組み合わせた言葉が通じたときの喜びや、あの旅の中で目にした地面から伸びる虹、ビニールシートを被せたように真っ青なカリブ海のブルー、フラミンゴの群れの優しいピンク、塩田と空の中に立ったときのパステルの世界は今でも夢に見るほど恋しい景色だ。今は、国境を越えるのにワクチンパスポートが必要な時代だが、いつか同じ困難を経てでも、あの旅をもう一度体験してみたいと思っている。