大分から熊本まで、阿蘇を経由して九州を横断するJR豊肥本線、その中間点にあるJR豊後竹田駅の前には城下町が広がる。夭折(ようせつ)した作曲家・滝廉太郎(1879~1903)が少年時代に住み、岡城址を思いながら書いたという「荒城の月」が駅のメロディーだ。竹田は「隠れキリシタンの街」としても知られ、廉太郎は実はクリスチャンでもあった。岡城址を模した駅舎=写真=で流れるメロディーは、和の中に西洋の郷愁も秘めているように聴こえる。実は日本最古の「駅メロ」採用例である。
大分合同新聞などによれば、始まりは1950(昭和25)年5月で、市民が駅にレコードを持ち込み、駅員がかける形で放送が始まった。まだ列車の発着が多かった時代のこと、レコードは日に20回以上もかけられてすり切れ、竹田市役所が補充した枚数は最初の12年で80枚にもなった。1988(昭和63)年からは、竹田市少年少女合唱団の歌うテープに替わった。市民総出で「滝廉太郎の街」を誇りに思い、伝えようとしてきた歴史がある。市内の記念館には、直筆の楽譜や銅像があり、近くの「廉太郎トンネル」は、通ると代表曲の「花」や「荒城の月」が流れる仕掛けがある。市は年間を通じ、廉太郎を記念した演奏会や音楽コンクールを行ってもいる。
駅では「荒城の月」に続いて「サンチャゴの鐘」というハンドベルのメロディーを2013年から流している。作曲家の船村徹が竹田を訪れた際の印象をもとに1973年に書いた。長くお蔵入りしていたが、2012年竹田市が企画した「岡藩城下町400年祭」のテーマソングとして復活、音色は秋田市のハンドベルグループが演奏しているという。初代藩主、中川秀成の没後400年を記念した企画だった。
「サンチャゴの鐘」とは長崎県の同名の病院にあったという銅製の鐘で、江戸時代初期の1612年に造られ、何らかの理由で岡藩に渡ったとされる。国の重要文化財で、現在は市の歴史資料館が保管している。竹田には1553年に豊後地方で初めてのキリスト教会が建設され、日本八大布教地の一つになった。宣教師フランシスコ・ザビエルと大名・大友宗麟によるものだ。城下町はその後の1594年、豊臣秀吉が天下を統一した時代に中川が築いた。岡藩はキリシタンを支援、鐘には中川の没年である「1612」の刻印がある。1614年に江戸幕府が禁教令を出した後も、竹田は長く「隠れキリシタンの街」であり、信教の拠点となった洞窟も残っている。
廉太郎は東京音楽学校(現東京芸大)在学中にキリスト教の洗礼を受けていた。その頃に作曲し、唱歌の懸賞に応募して当選したのが「荒城の月」だった。将来を嘱望されたドイツ留学を結核で中断し帰郷し死去、遺作のタイトルは「憾(うらみ)」であった。
※元産経新聞経済部記者、メディア・コンサルタント、大学研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)など。