川崎駅のメロディはJR、京浜急行とも「上を向いて歩こう」である。歌った坂本九さんが川崎市出身という縁からで、京急では2008年から、JRでは2016年から流れている。駅前ロータリーには歌詞と坂本さんの人生を紹介する歌碑=写真(藤澤志穂子撮影)=がたたずむ。妻の柏木由紀子さんが監修した。
坂本さんの人生が断ち切られた1985年夏の日航ジャンボ機墜落事故から37年。柏木さんは、いまや「坂本九さんの未亡人」というより、「おしゃれなインフルエンサー」としてのイメージの方が強いのではないだろうか。愛犬レア君や、近所に住む長女の花子さん、次女の舞子さんや孫たちとの交流、上質な品を長く大切に使うライフスタイルをつづったインスタグラムのフォロワー数はすでに3万近く。近くスタイルブックも刊行予定という。70歳代を超えた女性としては異例の展開だ。その人気の秘密はどこにあるのか。
柏木さんは、とてつもない苦しみを、時間をかけて乗り越えてきた。急に夫を失ったことで女優やタレントの仕事を本格的に再開。当時まだ小学生だった2人の娘たちと支えあって生きてきた経緯は著書「星を見上げて歩き続けて」に詳しい。再婚話もあったが「坂本九の仕事を伝えられるのは私だけだから」と思いとどまる。その潔さ、しなやかさ、そして「必ず乗り越えられる」という前向きさが、多くの女性たちの共感を呼ぶのだろう。「私のような境遇の方も元気になれるなら」とインスタを頻繁に更新する。
悔やまれるのは生前の坂本さんに、歌の話をあまり聞けなかったこと。「ウォウウォウと歌うところ、プレスリーをまねたのか、長唄の節なのかしら」「娘が生前の夫に『歌はどうやって歌うの』と聞いたときは、『心で歌うんだよ』なんて答えていたけれど」。柏木さんは娘たちと「ママ・エ・セフィーユ」(ママと2人の娘)というユニットを組み、公演活動も行っている。この歌は必ず披露する曲の一つだ。
この歌は「SUKIYAKI」のタイトルで1963年に全米NO1ヒットにもなっており、国内外で多くのカバーが存在する。そのうちの一つが「スタンド・バイ・ミー」で知られるベン・E・キング氏によるもので、来日公演の際、柏木さんの自宅を訪ねて坂本さんをしのんだ。そのキング氏もすでに鬼籍に入った。
「それでも歌は生き続けていて、聞いてもらうことでつながっていくのだと思います。川崎駅のメロディとして聞いた若い人たちが、お母さんや、おばあさんに坂本九のことを聞いて、知ってもらえたらうれしい」と柏木さん。
ある秋の日に川崎駅を訪ねると、歌碑のそばで若者がギターの弾き語りをしていた。その姿が、若かりし頃の坂本さんと重なりあって見えた気がした。
※元新聞記者、昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)など。