ユネスコ向け無形文化遺産の登録目指す
政官民連携で国民運動に
「温泉文化」をユネスコ無形文化遺産に―。登録を実現しようと、都道府県知事の会、国会議員の議員連盟、民間団体による全国推進協議会が相次いで発足するなど、登録推進活動が活発になっている。これらの取り組みをリードしてきたキーパーソンの一人が山本一太群馬県知事だ。「『温泉文化』ユネスコ無形文化遺産登録を応援する知事の会」の事務局長を務めている山本知事に登録の意義や課題について聞いた。(群馬県庁で。聞き手=向野悟)
――「温泉文化」をユネスコ無形文化遺産に登録する意義は。
日本固有の文化である「温泉文化」を保護、活用、発信し、次代へとつないでいく必要がある。温泉には、古くから病気やけがの治療に利用されてきた湯治の文化があり、さらに温泉利用の長い歴史の中で、衣食住を含む幅広い文化に変化していった。温泉文化とは、日本国民全体の生活文化で日本独自の文化である。
日本の温泉は、ホット・スプリングでもスパでもなく、ONSENだ。ユネスコ無形文化遺産への登録が実現すれば、ONSENが世界共通語になり、文化的な観点でブランド化される。そのことが温泉文化の保護、温泉地の活性化につながっていく。コロナ禍を経て、今、温泉地で一番深刻な問題は担い手不足、後継者不足だ。地域の温泉文化が消えてしまうようなことは阻止したい。
温泉文化の保護で重要なことは、温泉地で働く人たちの誇りと希望を醸成することだ。世界から注目されれば、日本人自らが温泉の文化的な価値を見つめ直すことになる。遺産登録は、温泉文化の担い手である温泉地で働く人たちの心の支えになるのではないか。
――「温泉文化」の定義について、日本温泉協会が設置した有識者検討会は、「自然の恵みである温泉を通して、心と体を癒やす、日本国民全体の幅広い生活文化」と提言している。
日本固有の文化としてどのように整理するかが大事だ。湯に浸かって体の芯から温まり、心と体を癒やす。温泉旅館では畳の部屋に布団を敷き、浴衣を着て、地元の食材を使った料理や地酒を楽しむ。日常から離れて豊かな自然に囲まれて心も体もリラックスする。衣食住の全てが凝縮された文化としての価値が十分あると考えている。
温泉は日本人にどこか懐かしさを感じさせるものがある。温泉に行ってほっと癒やされるとか、文字通り裸の付き合いで、誰かと一緒に湯に浸かって心を通じ合わせるというのも独特だろう。日本人には“遺伝子レベル”で温泉が染みついていると思える。
人口減少や人手不足の中、これからの温泉地や温泉旅館は、少ない人手でおもてなしできるように、変わっていかざるを得ないだろう。ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)が発達するなど、大きな時代の流れで必要なことではあるが、女将さんや仲居さんのおもてなしというのも温泉文化の一部だ。もしこうした文化が失われたら、日本の温泉文化の特徴もなくなってしまう。
――登録が実現すれば、温泉地の観光振興にもプラスになる。
ユネスコ無形文化遺産は文化遺産を保護するのが目的で、登録を目指す上では、観光振興は結果としてついてくる副次的なものと捉えなければならないが、温泉文化を世界に発信することは、観光立国・日本のインバウンド戦略の柱になり得る。これからの日本は観光立国で行くしかない。温泉地の多くは地方部、山間部にあり、温泉を観光の目玉として地域の経済、文化を支えている。そうした地域を盛り上げたい。温泉文化を世界に発信することで、地方の温泉地に観光客が来てくれれば、さらに新しい文化も生まれるかもしれない。
――登録の実現に向けた取り組みは。
大きく言って三つの取り組みが重要となる。一つ目は文化財登録だ。ユネスコ(国連教育科学文化機関)に提案するには、国内法で保護されている必要がある。まずは「温泉文化」を文化財保護法の文化財として位置づけなければならない。それには「わざ」や「担い手」の特定や、全国各地の温泉に関する民俗文化などを洗い出す必要がある。知事の会では、このための調査をスタートさせている。
二つ目は機運醸成。2020年12月にユネスコ無形文化遺産に登録された「フィンランド式サウナの伝統」は、国民全体の文化であるという点で、温泉文化に近い。この取り組みを参考にしている。2022年9月にフィンランドを訪問したが、その時にフィンランドサウナ協会の方から、国民運動にしていくことが大事だとアドバイスされた。温泉に関係する団体が中心となって設立した「『温泉文化』ユネスコ無形文化遺産全国推進協議会」の活動などを受けて、旅館・ホテルの関係者も本気になってきている。市町村なども巻き込んで、全国各地の温泉地の機運を盛り上げていくことが重要だ。
三つ目は連携。関係者間の連携が調査研究、機運醸成にも大事だ。団体や企業に呼び掛けて、全国推進協議会の会員を増やし、連携の幅を広げていきたい。全国の温泉地や観光の関係者はもとより、「温泉文化」の登録を後押ししている自民、公明の議員連盟や、われわれ知事の会、そして関係省庁など、登録に関わる全ての関係者の連携強化が登録実現への道筋をつけることになる。
――登録の実現に向けて関係者にメッセージを。
登録へのハードルは高く、登録は難しいのではないかと言う人もいるが、挑戦する価値がある。知事の会は、会長の蒲島郁夫熊本県知事、幹事長の平井伸治鳥取県知事をはじめ、17道県でスタートしたが、今では36道県が参画し、全国を巻き込んだ大きな動きになっている。多くの温泉が地域の要と認識されていることの表れだと心強く思っている。さらには、前述の議員連盟のご尽力もあり、政府の「骨太の方針」(経済財政運営と改革の基本方針2023)に、「温泉」や「旅館」が磨き上げるべき「文化資源」であることが本文中に明記された。これは登録に向けた第一歩で画期的だ。
温泉文化は日本が世界に誇るべき固有の文化だ。これをユネスコ無形文化遺産に登録することは、日本にとっても大きな意味がある。ぜひ多くの方に登録実現への活動に参加していただきたい。あらゆる分野の方に呼び掛けて、国民的な運動として盛り上げていきたい。
山本一太氏(やまもと・いちた) 群馬県草津町出身。1982年3月、中央大学法学部卒。85年5月、米国ジョージタウン大学大学院国際政治学修士課程修了。国際協力事業団(JICA)、国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部などを経て、95年7月、参議院議員に初当選。内閣府特命担当相、参議院予算委員長など。2019年7月から群馬県知事。65歳。
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