「音」誘われる旅で世界を体感
映像プロジェクトをライフワークに
2010年から世界を旅してさまざまな文化に触れ、音楽映像ライブラリーを作り未来に伝えるプロジェクト「LISTEN.」の活動を続けてきた俳優の山口智子さん。23年7月には日本旅行作家協会の第2回「兼高かおる賞」も受賞されました。山口さんにとって「旅」とは何か、旅への思いをうかがいました。(聞き手=編集部・板津昌義)
――山口さんはご自身の生活の中で「旅行」というものをどう位置付けていますか。
「旅は”人生”です。生き方を学ぶ場ですね。無駄な荷物をそぎ落として身軽になることを試されながら、生命体としてどう生き進んでいくか。旅は学びの場であると実感しています」
――何か実感するきっかけがあったのですか。
「10年かけて世界を巡ってきましたが、旅を重ねていくうちに、自分にとって本当に大切なものが少しずつ見えてきました。旅での新たな出会いにちゃんと感動するためには、自分自身を快適に保つ術を身につけることがとても大事です。しかも、フットワークは軽く、荷物は最低限の軽量であることも重要。やはり最終的にその威力を実感するものは、身も心も癒やして、生きるパワーを蘇らせてくれる自然の力を生かしたもの。オーガニックコットンやウールや鉱物、天然素材を生かす技術で作られたものは、体だけでなく心が元気に復活することを感じます。自然の力と、人間の職人技が融合した有能な持ち物を厳選する”荷造りタイム”は、旅立つ前の楽しい修行の時間です」
――旅の魅力はどちらかというと楽しさよりも学び的なものですか。
「私にとっては、『学ぶ』時間は人生の至福の時です。自分の心がときめくものを学ぶことは、大人にとって究極のぜいたくな『遊び』だと思いませんか。日常の中でも、ちょっと回り道をしてみたり、いつもと違う試みをしてみたり、距離を置いたり時間をかけたり、日々の旅を楽しむ視点で暮らしを見直してみた時に、見慣れたものの中に潜む新たな感動に出会える。人生を再発見する感動は、私たちのすぐ隣で私たちを待っています。知って学んで、もっともっと人生を楽しまなければ、もったいない」
――ライフワークとして力を注がれている「LISTEN.」プロジェクトというのは。
「30歳を過ぎた頃、『私はこの世界を何も知らない』という気持ちが沸々と沸き起こりました。『世界にはまだまだ知らない宝物があふれている。せっかくいただいたこの人生の中で、地球の美しさにもっと出会いたい!』と。まずは一歩踏み出して、自分の心の声に従ってみようと思いました。『LISTEN.』とは、『耳を傾ける』という言葉です。世にあふれる雑音や情報に溺れることなく、まずは静寂の中に身を置いて、自分自身の声を聞く。そして心を開いて世界を感じる旅に出たい。『音』に誘われる旅は、頭で理解するというより、世界を体感する感動です」
「知らない異国の地に降り立った時、街の路地裏から流れてくる歌やギターの音に、無性に懐かしい気持ちになることがあります。20代の頃、1人でポルトガルを巡ったとき、民衆の苦難の暮らしの中から生まれた、郷愁の心を歌う『ファド』という音楽に出会いました。あまりに心が震えて、毎晩、歌を聞きに盛り場に通った思い出があります。ポルトガルと日本は、南蛮貿易の時代から深いつながりがありますよね。テンプラとかシャボンとか、なじみ深い日本語へと形を変えたポルトガル語もたくさんあります。西の極みと東の極みの国同士、こんなに距離を隔てても、人生の郷愁を音楽で共感できることが素晴らしい。遠い異国を探ると、意外にも自分のルーツへと深く結びつく。そんな不思議な感動が旅の醍醐味(だいごみ)です」
「脳で考えるより、体の細胞や魂で感受するセンサーは、真理に導いてくれると信じています。『音』はうそがない。本当に心がときめく『音』は、国境を超えて、一瞬で世界の人々の心を結んでくれる。言語の壁も超えて、共に歌い踊り出すことができる。歌い奏でるメロディ、リズム、思いをつづる言葉、音の波動は、日々元気に復活して生まれ変わりながら生きていくための大切なエネルギー源です。食べ物や空気と同じように、なくてはならない生命力の源。LISTEN.は、かっこいい“今”の地球の輝きが詰まった、千年後の未来に伝えたいタイムカプセル。音で地球の素晴らしさを体感する映像ライブラリーとして、これからも伝えていきたいです」
――国内の旅行には行かれますか。
「大人になる過程で、生まれ故郷に反抗して都会を目指す時期ってありますよね。私は小さい頃から、故郷と思える場所や文化への喪失感があり、まずは異国への興味に突っ走った時期がありました。心にぽっかり空いた穴を埋めたくて、心の故郷を求めてはるかな異国を旅し、多くの出会いを経て、やっと自分の故郷日本がいかに世界に影響を与えてきたかを知ることができました。地球を一巡りして、今こそ日本に向き合う準備ができました」
「2024年に還暦を迎えます。還暦は、『再び生まれ直す』節目だそうです。だからこそ今、初心に立ち返って自分のルーツに向きあってみたいという意識が強烈に芽生えています。60歳って、こんなに体力も知力もみなぎるものなのだと、自身の最高潮パワーに驚いています。ですから原点回帰の気持ちで、新鮮な眼差しで世界に向かってみたい。日本も、訪れてみたいところがいっぱいです。夫がクラシックカー好きなので、コロナ禍では夫の運転で、伊勢や日本海の方まで旅をしました。逆境のおかげで、こんなに身近に素晴らしい文化があることに、改めて気づくことができました。日本には四季折々、さまざまな風土に培われた個性あふれる文化が花開いています。こんな豊かな彩りは、世界でも類を見ないでしょう。日本をもっともっと知りたいです」
「私はお風呂好きなので、やはり温泉はいいですね。時間が許す限り新しい温泉宿にトライしてみるのですが、老舗旅館が新しい世代に代替りし、若旦那、若女将の新しい発想で、面白く生まれ変わりつつある宿も最近多いですね。古民家を改装して、歳月の味わいと機能性を融合させたり、自然エネルギーで自然と共存を目指したり、地域の文化に触れる体験学習ができたり、新たな世代の自由な発想が心強いです」
「温泉宿に着いた途端に『明日の朝食の時間は』と聞かれることが大嫌いです。せっかくのバケーションで訪れているわけですから、『明日の予定なんて今から決めたくない』って思いませんか。心ゆくまで寝ていたいかもしれないし、起きたら起きたでお腹が空くかもしれない。そんな時に、ぜいたくでなくていいから、シンプルでさりげない心遣いがほしい。最近は、至れり尽くせりではなく、客の自由意志を尊重してくれる、放任主義のサービスもだいぶ浸透してきてうれしいです。本当に客が欲する良質なものへと、ぜひ新しい若い世代が大変革を起こしていただきたいです」
――以前は実家が旅館を経営されていたと聞いていますが。
「祖母が旅館を営んでいました。24時間体制で働く裏方の苦労を知り過ぎて、私は絶対に継ぎたくないと思っていましたが、お客さまに喜んでいただく『エンターテイメント』として、私の今の仕事と通じていると思います」
――旅行先や宿泊施設でこんなサービスがあったらいいというものは何かありますか。
「旅は、滞ったエネルギーをリセットして再生する場。訪れた地のライフスタイルを体験して、自分の暮らしを再考してみる良いチャンスです。世界を旅すると、異なる文化の違った生活スタイルや時間のサイクルに、大きく刺激を受けることがあります。例えばスペイン。夏は朝早く起きて涼しい時間にひと働きして、お昼に友や家族とたっぷり時間をかけてご飯を食べて、『シエスタ』という休憩タイムを夕方までしっかり取って、40度近くになる酷暑の時間帯をやり過ごします。日本人から見れば怠けているように見えますが、実はとても理にかなっていて、冷房費など無駄なエネルギーを節約できる。それに1日の真ん中にしっかり休むことで、夕方涼しくなった頃に動き出せば、仕事の効率も上がるし、1日を2回楽しめるようなお得感満載です。日本人も、ただあてがわれたカレンダーや時間割に従うのではなく、気候変動に合わせた効率的な新しい生活様式を自分たちの体感で察知しつつ改善していくべきではないでしょうか。海外でよくある、1カ月間ただただ何もしないというバケーションスタイルも、日本人として、そろそろトライしてみてもいいかもしれません」
「日本の食文化は世界に誇る宝ですが、食以外でも、その土地の工芸や芸能、生活スタイルや風習に、長期滞在しながら触れて学べる場がもっと増えてもいいですよね。また『ただいま』と戻ってきたくなるような、郷土と交流の場がもっとあっていい。山や海で地域の人と一緒に食材を収穫したり、自然農法を学んだり。食に関する学びはこれからの時代、特に大切だと思います。旅先では朝寝坊したいと言いましたが、例えば夜明けの浜に、おみそ汁の具を採りに行く体験ができるなら、喜んで早起きしてみたいと思っています」