自然災害、コロナに負けない 女将の心意気で乗り越える
草津白根山・本白根山噴火の風評被害に苦しんだ群馬・草津温泉、豪雨で甚大な被害を受けた熊本・人吉温泉。自然災害に加えコロナ禍という未曽有の危機にどう向き合い、事業を続けてきたのか。両温泉の旅館女将に思いを聞いた。司会は論説委員の内井高弘。(東京・芝公園の「とうふ屋うかい」で)
――2021年もまた、新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)された年でした。影響は大きかったですか。
有村(友) 20年7月4日の「熊本豪雨」の影響が甚大で、その後1年1カ月休業を余儀なくされました。21年8月30日に営業を再開し、その前の6月1日から予約を受け付けたのですが、動きが鈍くて、本当にお客さまが来てくれるのか心配でした。でもお電話があった時はうれしかったですね。
清流山荘あゆの里 若女将 有村友美さん(さくら会)
――コロナ禍で旅行の仕方が変わったといわれますが。
有村(友) 直予約とネット予約がほとんどで、それも間際化していますね。リードタイムの短さは驚くばかりです。
――それにしても豪雨災害はひどかったですね。
有村(政) 当時100人のお客さまがおり、まず思ったのがお客さまの命を守るということ。外に避難するというお客さまもいましたが、とにかく上階に誘導し、お客さまと一緒に2階に避難した直後、濁流がガラスを破って館内に流れ込んできました。まさに危機一髪です。
真っ暗な状況で電気もつきません。幸いガスが使えたのでそれで料理を作り、非常階段から運んで各部屋に運びました。お客さまには丸2日ご滞在いただき、熊本から手配したバス4台で帰宅していただきました。客室にはお礼や励ましのメッセージが置いてあり、社員一同感激しました。
1階と地下の全てが浸水しました。大変だったのは泥出し作業で、3カ月かかりました。ボランティアの方の応援がなければもっとかかっていたと思います。感謝しかないですね。
清流山荘あゆの里 女将 有村政代さん(さくら会会長)
――有村さんは女将の会「さくら会」(13会員)の会長ですが、被災後、ユニホームであるはっぴを作ったとか。
有村(政) ほとんどの会員のはっぴが流されました。はっぴを羽織れば心は一つ。完成した際には人吉城址で「人吉は頑張ってます」とPRするCM撮影に臨みました。今まで以上に絆が深まり、団結力が強まったと思います。
市川 コロナ禍がこれほど長引くとは思ってもみませんでした。収まったと思えばまた波が起こり、そのたびにまん延防止等重点措置や緊急事態宣言が出され、まるでジェットコースターに乗っているようです。協会には旅館・ホテルや飲食店、商店など356軒が入会していますが、1軒も倒産しなかったのは幸いです。企業努力はもちろん、政府の支援などのおかげです。
心掛けたことは社員がコロナに感染してはいけないということ。145人の社員がいますが、行動に責任を持つ、自分を守るということを徹底させました。
ホテル一井 女将 市川薫さん(草津温泉観光協会会長)
――10月に宣言が解除されました。影響は。
市川 稼働率は10月が70%、11月は90%となり、徐々に回復しつつあります。県の宿泊キャンペーン「愛郷ぐんまプロジェクト第3弾」に加え、町の「まち歩き共通クーポン」発行が奏功しているようです。他県ナンバーの車も増えていますね。あとはGo Toトラベルがいつ再開されるかです。
11月20日に湯畑前の湯路広場に高さ14メートルの巨大なクリスマスツリーがお目見えしました。約4万球の電球が点灯し、湯畑のライトアップと共に、ツリーの青い光が温泉街を彩っています。同日の点灯式には大勢のお客さまが参加し、うれしい半面、密が心配になりました(笑い)。
小林 宣言解除に伴い、人が動きだしました。東京の感染者が少なくなって安心して来られているようです。皆さん、しっかりとマスクを着用し、手指の消毒も率先してやってくれます。日本人の律義さを改めて感じますね。県民にとって草津は日帰り観光地で、お泊まりになるお客さまは少ないのですが、キャンペーンなどもあって、いまは3割ほどがお泊まりになられます。7割が他県からですが、神奈川や埼玉の方もそこそこお見えになっています。
草津スカイランドホテル 女将 小林由美さん(湯の華会会長)
――自粛疲れというか、我慢していたのでしょうか。
小林 リフレッシュしたいのでしょうね。Go Toトラベルに期待していますが、「補助がないので旅行には行かない」というような事態になるのが怖いです。そのへんを見極めて実施してほしいですね。
――草津と人吉は相互交流していますが、それぞれの良さをどう捉えていますか。
市川 以前うかがった時に国宝の青井阿蘇神社に案内されたのですが、歴史ある神社で、落ち着いたたたずまいに感動しました。豪雨で被災したと聞いてショックでした。人吉城址や球磨川の美しさ、古いまち並みなど小京都のような印象を受けました。驚いたのは病院の多さ。おもてなしの原点は命を守ること、安全であることだと思いますが、周囲にこれだけ病院があると緊急事態に容易に対応できるのがうらやましいですね。草津は車で20~30分走らないと病院に行けないので、その点は大きな違いです。
小林 歴史と文化が彩られたまち。まちを歩くと随所にそれを感じます。草津は温泉しかありません(笑い)。それはそれで天の恵みなのですが。
有村(政) 「日本でもっとも豊かな隠れ里」といわれています。県における国・県指定文化財のうち、茅葺(かやぶき)木造建築の約8割が存在しており、人吉球磨地域は日本遺産第1号です。いわずと知れた球磨焼酎の産地で、現在27の蔵元があります。焼酎をアピールするため館内に「球磨焼酎ラウンジ」を作りました。飲み比べていただき、焼酎の奥深さを感じていただければ。
――草津の印象は。
有村(政) 湯畑を中心に温泉情緒あふれる場所で、特に、夜の湯畑周辺はライトアップされ、とても美しかったですね。人吉でもできないものかと思いました。
有村(友) 観光まちづくりに積極的に取り組んでおられ、見どころが多いですね。まち歩きが楽しくなります。ライトアップは幻想的なムードを醸し出し、素敵です。湯もみ体験も貴重でした(笑い)。
市川 湯もみは協会の大きな収入源で、年間1億7千万円ほどを売り上げていたのですが、コロナで半分になりました。密にならないよう収容人数を絞っているため、売り上げを上げるには回数を増やすしかありません。
――草津は本白根山の噴火が観光に大きなダメージを与えましたね。
市川 18年1月23日の噴火では死者も出ました。でも、本白根山と町までは7キロ離れており、噴石が飛んで来ることはまずありません。直接的な被害はないのですが、風評被害に苦しめられ、キャンセルが続出しました。草津の現実を知ってもらおうと情報発信に努めました。おかげさまで4月には8割ほど戻ってきましたが。
小林 地球温暖化の影響なのか、自然災害が頻繁に起こるようになってきました。草津は噴火ぐらいしか思い浮かびませんが、豪雨災害もないとはいえず、がけ崩れなどが心配ですね。いくら準備していても想定外の事態は起こります。そうなったら「仕方がない。ここから立ち上がるしかない」という強い気持ちを持つしかありません。資金をどうするかの問題もありますが、今はクラウドファンディングなどもあり、考え方次第です。
スカイランドホテルは父が造り、私が引き継ぎましたが、幸い娘が後を引き継いでくれるようで、どう残していけるのかを考えています。建ててからもうすぐ50年。あちこち傷んでいます(笑い)。できるところから、少しずつリニューアルしていこうかと。
――有村さんのところはどう役割分担しているのですか。
有村(友) 再開を果たし、どう経営を軌道に乗せるかに集中しています。女将は対外的なことを、私は旅館を守ることに専念する。21年は新たなあゆの里のスタートであり、原点に立ち返りました。会長や女将の存在はとても大きく、休館中いろいろな話を聞きました。政治や行政をはじめ、とにかくいろいろなところから情報が集まります。驚くばかりで、これまで培ってきた経験と信頼に脱帽です。
有村(政) 先ほど小林さんもおっしゃいましたが、前向きに考えるしかありません。町に明かりを灯し市民を元気づけようと、観光関係者ら有志でつくる「人吉ひかりの復興プロジェクト」を実施しています。球磨川沿いの人吉城址の角櫓(すみやぐち)や石垣、青井阿蘇神社、球磨川下り発船場などをライトアップし、今も明かりが戻っていない夜の街を癒やしの光で彩っています。
11月13日には復興を願う「スカイランタンフェスティバル」を初めて開催しました。和紙で囲ったランタン約450個を作り、地域住民らで一斉に上げました。鎮魂と未来に向かって頑張ろうという思いを込め、今後も続けていき、イベントの一つにしたいと考えています。
県の蒲島郁夫知事はよく「創造的復興」とおっしゃるのですが、その通りだと思います。前より良くする、ということで、露天風呂付き客室を9部屋増やし、屋上に天空のテラス「KUMAGAWA」を改修。また、エステサロンも22年春にはオープンする予定です。
市川 JR九州の唐池恒二会長の「逆境と夢は人と組織を強くする」という言葉が心の支えになっています。自然災害やコロナ禍はまさしく逆境ですが、夢を持って歩めば人、会社は強くなると信じています。温泉は人々の心と体を癒やす一方、明日に向かっての活力にもなります。温泉旅館を営む者として、皆さんに力を与えられればなと思います。
小林 コロナは早く収束してくれることを願うばかりですが、一方でいろいろなことを考えるきっかけになりました。ただ大変だったでは済ませず、この経験をどう生かすか、真価が問われています。
――皆さんは女将業が長く、確固たる地位を築いており、まさしく旅館の顔です。いまさらですが(笑い)、女将とは何か、改めてお聞きしたい。
有村(友) 私はまだまだ修業中で、目標は女将です。この人についていけば間違いがないと思っています(笑い)。行動力、顔の広さ、おもてなし、全てが勉強になります。
有村(政) 自然体で、気負うことなく、自分が楽しくやることが一番です。また、おもてなしの心をいつも持ってお客さまに対応しています。
市川 人それぞれの女将像があると思います。自分の得意とすることを伸ばしていく。お客さまに喜んでいただき、また来ていただくためにどうするかを常に考える。時代によって女将像は変わってくると思いますが、お客さまあっての私たちというスタンスを忘れなければいいのでは。
小林 お客さまに笑顔でお帰りになっていただくのが基本。手本は湯の華会の皆さんです。追い付き追い越せ精神で今後も精進していきます。
▷拡大
▷拡大