JASRACのかじ取り
音楽で「旅文化」復活を 日本語の美しさ忘れず
――JASRACは音楽業界の中でどんな存在ですか。
「音楽に関わりを持つ組織の中で、要となるポジションと理解しています。JASRACの使命は音楽の利用者と、作詞・作曲家などの権利者との間の橋渡しとして、不安を少しでも取り除き、信頼や絆の糸を太くすることです。責任の重さを痛感しています」
――音楽の聴き方もずいぶん変わってきました。
「歌の世界はレコードからカセット、CD、そしてインターネットと形を変えてきました。作り手として不安がないわけではありませんが、人の心に届く作品であれば姿、形を変えても世の中に残っていくと思います」
――旅館・ホテルにはカラオケが欠かせません。
「旅をして宿に着き、浴衣に着替え、風呂に入った後は宴会。飲むほどに酔うほどに歌が始まる…。カラオケは旅、温泉、宿に欠かせません。コロナ禍でカラオケの利用を控える宿も多いと聞きますが、まさしくコロナ憎しですね」
「旅でリフレッシュし、新しく生活をスタートするというスタイルは日本人に定着しており、一つの文化だと思います。早くそんな『旅文化』が復活するのを願っています」
――これまでどのくらいの曲を作っていますか。
「2500~2600曲ぐらいで、演歌、歌謡曲など、いわゆる大衆歌謡が多いですね。皆さんの心に届く曲がいくつできるかが私のテーマです。曲作りに旅は欠かせない存在で、託された詞をカバンに入れ、移動中や、宿で景色を眺めながら曲を作ります。旅はメロディー探しの場で、私から旅をとると引退の時です(笑い)」
――代表的な曲の一つが石原裕次郎の「北の旅人」ですね。
「裕次郎さんが大病を患い、ハワイで静養していた時に現地でレコーディングしました。昭和62年2月のことです。その5カ月後にお亡くなりになりました。とてもショックでした。裕次郎さんの曲はそれまで3曲ほど作っていましたが、『北の旅人』のレコーディングで初めてお会いし、生歌を聞いて感動しました。私にとっては宝物の1曲ですね」
――会長は国内と海外旅行では、どちらが好みですか。
「国内旅行ですね。17歳で歌手デビューし、キャンペーンで全国を回りましたから。北国は寒い時、南の国は暑い時に行きます。普通は逆ですが、酷寒の冬に北国に行き、ギターを弾いて歌う。そういう時にこそ人は真剣に聴いてくれ、その町に足跡を残すことができます」
――宿泊先は旅館、ホテルどちらでしょう。
「それぞれ良さがありますが、どちらかといえば旅館の方が寛げますね。お酒を飲みながらギターを弾いて歌を作る。時間がゆっくりと流れます。ホテルでは上着を脱いで、町のネオンに誘われます。旅館は内、ホテルは外のイメージです。どちらも、日頃から音楽著作権についてご理解いただき、JASRACとも契約いただいていますので、会長として本当にありがたく思っています」
――思い出に残る宿はありますか。
「静岡県の伊豆天城湯ヶ島温泉の白壁荘です。作詞家の吉岡治、プロデューサーの中村一好とこの宿にこもって石川さゆりの『天城越え』を作りました。ご主人が観光協会の会長を務めており、他の宿泊客の迷惑にならないよう、宿の隅っこに部屋をとってくれました。カラオケでの歌いやすさを意識せず、クオリティが高い曲を作ろうと。納得の作品ですね。これが縁で白壁荘とは親戚付き合いとなり、プライベートでも利用しました」
――ご当地ソングは地域活性にも貢献していると思います。
「ご当地ソングといえば水森かおりですが、全国制覇を狙っています(笑い)。取り上げていない県は福岡など3県ほどです。歌で町を知っていただき、どんな町だろう、一度行ってみるか、と思っていただけるとうれしいですね」
――歌は人々を元気にし、背中を押してくれたり、また悲しみを癒やしてくれるなど、大きな力を持っています。
「歌は言葉ありきです。時代によって言葉は変わってきますが、日本語の持つ美しさを忘れてはいけません。ポップス、ラップ、ジャズ、ブルース、演歌と歌のジャンルはさまざまですが、日本語を大切にして歌ってほしい。また、方言やなまりはその土地の宝物です。これをメロディーにのせることができたらいいですね」
げん・てつや 1965年歌手デビュー。76年「おゆき」で作曲家デビュー。2017年日本作曲協会会長就任、22年4月現職就任。石原裕次郎「北の旅人」、石川さゆり「天城越え」など、総作曲数は2500曲を超える。千葉県銚子市出身。74歳。
【聞き手・内井高弘】