高山の観光の発展と土産業界の活性化を図ろうと高山グリーンホテル(新谷尚樹社長)は18日、「飛騨の地酒シンポジウム」をホテル内で開いた。
飛騨酒造組合に所属する13の会員をはじめ、土産物生産者、旅行会社、マスコミ関係者などが出席した。コーディネーターは新谷社長が務めた。
第1部では、高山商工会議所特産品部会長で清酒「鬼ころし」蔵元の老田正夫・老田酒造社長が「飛騨の地酒の再発見」をテーマに講演。第2部では「飛騨の地酒と観光を語る」をテーマにパネルディスカッションを行った。
パネラーの1人、高山商工会議所の小瀬信行専務理事によると、1970年に国鉄が個人旅行拡大キャンペーンの「ディスカバージャパン」を始めてから高山を訪れる観光客が急激に増え始めた。71年には年間100万人を突破。76年に200万人を超え、03年に300万人に達した。
高山の清酒の製造出荷額も73年に8億3千万円だったのが、75年に13億5千万円、93年に31億500万円と観光客の増加と共に伸びた。ところが同93年をピークに98年には22億4千万円まで減少。03年は26億3千万円まで回復したがピーク時の出荷額には届いていない。
スパークリング純米酒「ジャンパン」を開発した蒲酒造の蒲茂太郎社長は「昭和初期に全国で約3千あった酒造は、現在約1千軒位にまで減っている。飛騨酒造組合は当時からずっと13軒のままで天然記念物的な存在だ」と発言。
飛騨酒造組合の上野田隆平理事長はその理由を「旺盛な地元消費に支えられている」と説明した。土産物としての需要については「今は飛騨牛が有名だが、ディスカバージャパンのころは観光土産といえば酒とっくりだった」述べた。
さらに上野田氏は「米国では日本酒の需要が倍々ゲームで伸びている。日本酒の聖地『飛騨高山ブランド』を確立し、新しい飲み方を世の中に提案していけば市場はいくらでもあるはず」と飛騨の地酒のブランド化を提案。「焼酎ブームは昨年から頭打ち。国内の日本酒需要が戻ってきている。地域文化の一端を担う『酒』に新たなブームの予感を感じる」と力強く語った。
コーディネーターは新谷社長(左)が務め活性化策を議論した