遅い夏休みを取り、ベトナムに行ってきました。ハノイに2泊、ハロン湾で1泊、ホーチミンで2泊の旅でした。日本の支援が功を奏し、町並み保存が成功したホイアンに行けなかったことは残念です。
ベトナムで最初に口にしたのはハノイのローカル食のつけ麺。到着した日の晩に、ハノイ旧市街の名店「ダッ・キム」を訪問しました。もともと地元の人のための店でしたが、観光客の口コミで広がり、ミシュランにも紹介されているほどの人気店に。路上にステンレス製の細長いテーブルと15センチ四方ほどの小さな椅子が並び、そこに欧米からの観光客が密集していました。隙間を見つけて私も腰かけると、背中越しにバイクが行き交う激しい喧噪(けんそう)。「ブッ、ブーッ」と、クラクションが鳴り響く。
つけ麺は、まるで素麺のような米粉の細い麺と野菜が皿で出され、丼にはところ狭しと焼き肉と肉団子が入る豪快さ。日本だったら塩っ気の強いスープに仕上げるでしょうが、ここベトナムでは甘ったるい。東南アジア特有の甘い味に、ここはアジアなのだと認識。
私は17年ほど前、月に2回の割合でアジア通いをしていたので、ハノイの旧市街の喧噪が懐かしかったのです。読者の皆さんもご存じの通り、ベトナムは複雑な歴史背景から、東洋と西洋の文化が入り混じる特別な国です。それは食にも表れていて、フランスの植民地時代から伝わるフランス料理はハノイの名物となりました。ハノイではフレンチをいただきましたが、実に洗練された味。さらにソースで皿に赤く太い線が描かれるダイナミックな盛り付けはベトナム人のセンスなのでしょう。加えて、ベトナム全土でパンがおいしかったことが印象的。こうした食事情は、旅をする者にとって感情を喚起させるスイッチとなり魅力的です。
さらに私は、現在のベトナムパワーにも魅了されました。ハノイの現地のガイドさんが移動中の車内で、ベトナムの今を話してくれました。稼げるのは「不動産、医師、銀行」。事実、移動中に車窓から見えた開発地域は、2~3年で一気に、一つの町を完成させるそうです。そこには急速な企業成長があり、その不動産開発のグループ企業は電気自動車のタクシーも走らせています。ハノイ郊外には、野村不動産が手がける高層マンション群「エコパーク」がそびえています。ここには日本式の温泉施設があるそうです。
ガイドさんはベトナムで進行している新幹線の工事の状況も説明してくれました。かつて私が通っていたころの雑多なアジアの風景を残しつつも、勢いよく経済成長を遂げようとする町の変化に、目を奪われてばかりでした。
ガイドさんはもうすぐ3人目の子供が生まれます。ベトナムでは急激に人口が増えていて、ハノイは東京都を追い抜くがごとくの増加だそうで、ガイドさんの明るい語りと表情が忘れられません。ひょっとしたら昭和の日本が高度経済成長期を迎えたころ、日本人もこんな表情をしていたのでしょうか。数年前、ベトナムからの労働者への扱いがひどかったことで、国と国との関係性が悪化したニュースを思い出し、胸が痛みました。同時に、アジアの急成長に突き上げられる日本を案じました。
以下は旅の余談です。ハロン湾1泊のクルーズは優雅でした。クルーズ船「インドシナ」号の高貴な設えや、“海の桂林”と呼ばれるハロン湾に広がる島々や奇岩の景観を堪能しました。ホーチミンでは、開高健がベトナム戦争中に滞在し、数々の作品にも出てくるホテル「マジェスティックサイゴン」に宿泊。開高健が滞在した103号室を利用しました。どこかの媒体でベトナム紀行を書きますので、お目に留まったらご笑覧くださいませ。
(温泉エッセイスト)
(観光経済新聞11月25日号掲載コラム)