彼岸獅子(福島県会津若松市)
お城やお寺で盛大に舞う一方で、地域の家々や商店を1軒ずつ丁寧に回る。この獅子舞はどこまでも地域に必要とされる獅子舞なのだろう。福島県会津若松市で2022年3月、春の訪れを祝う「彼岸獅子」を拝見した。今回、獅子を演じたのは天寧獅子保存会の皆さまだ。
まず会津若松市のシンボルともいえる鶴ケ城で演舞が行われ、「一人立ち」の獅子が3頭登場し、庭入り、弊舞、弓潜りなどの曲目を実施した。例えば、弓潜りでは獅子が弓を潜ろうとしてもなかなか潜れず、その周辺をウロウロしていたが、最後はぴょんぴょんと飛び跳ね、弓を潜った瞬間に観客から大きな歓声が上がり、最大の見せ場にもなった。
鶴ケ城での演舞の後、お昼には阿弥陀寺でも同様の演目を実施。荘厳な雰囲気での演舞もまた味わい深く感じられた。もうこれで今日の演舞は終了かと思っていたら、なんと午後は七日町通りの商店を一軒一軒回り始めた。朝から夕方まで動き回り、観光客や地元民をはじめとした幅広い人々に彼岸獅子の格好良さを見せてくれた。同時に、地域に深く根付いた獅子舞という印象を受けた。
会津の獅子舞の起源は諸説あるが、文献上の初出として1056年の前九年の役の時、源頼義・義家が安倍一族を撃つにあたり、長引く戦いの中で家臣の士気を高めるために実施したともいわれる。また、明治元年の戊辰戦争では、会津藩主・松平容保の家老である山川大蔵が田島方面の守備から急きょ呼び戻された時、獅子舞の「通り囃子(はやし)」を奏して、あっけにとられている敵兵たちの攻撃を避け、無事に鶴ケ城に入場できたという話もある。
江戸時代以降、彼岸獅子は特に藩士の支援のもとで実施されてきたため、担い手のプライドは高かった。それに加え、上記のエピソードからも分かるように、戦場の士気を高めたり、自分たちの身を守ったりする存在でもあったのだ。この流れの中で彼岸獅子は会津の人々の誇りとなり、今日でも地域に深く根付いている。
(獅子舞マニア・稲村行真)
=連載おわり
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