新居浜太鼓祭り(愛媛県新居浜市)
工都新居浜。この街の人々は皆、胸の内に鳴り止まぬ鼓動を秘めている。
江戸時代の別子銅山開坑を皮切りに街は急激なスピードで発展していった。現在も瀬戸内工業地帯の一角を形成する小さな街では、後に財閥と呼ばれる多くの住友グループ企業が産声を上げ、世界有数の産出量を誇った銅は当時の日本経済を力強く支えた。
新居浜は銅により活気づき、祭りで神輿(みこし)と渡御を行っていた山車は市民の潤沢な資金、祭りへの愛により大きくきらびやかに変貌していく。現在の太鼓台へと進化を遂げる中で、独自の歴史的背景により洗練された形は新居浜型と呼ばれるようになった。
勇壮華麗、そして男祭りと称される新居浜太鼓祭り。愛媛県東部特有の方言も相まって、祭りに熱狂する市民に対して堅く恐い印象を持つ人は多いだろう。しかし普段の新居浜人は新しい人やモノに寛容で、驚くほど謙虚だ。人々は熱い思いを内に秘め、毎年10月中旬に迎える祭り本番までの日数を指折り数えながら日常を過ごしている。
キンモクセイが香り出す頃、稲穂と共に市民の心は黄金色に色付き、街は祭りムード一色となる。54の太鼓台が太鼓を打ち鳴らし、集会所には多くの人が集う。沿道にはのぼりが立ち、各家庭では法被の準備が進む。新居浜を離れて暮らす人々も盆、正月の大型連休を返上して一斉に帰省を始める。
鼓動は抑え切れない。祭りの始まりだ。男たちは秋の実りと豊漁、今年も健やかに祭りができることに感謝、その喜びを爆発させる。金糸で縫い取られた飾り幕、舁(か)き夫たちの息遣いを荒々しく表現する大きな房、指揮者の笛で変化する掛け声と秋空に響く太鼓の音。
各地区の誇りをかけて天高く差し上げられた太鼓台は市民、観光で訪れた人、仕事で新居浜に移り住んできた人の心を揺さぶる。瞬く間に過ぎゆく3日間は人々に大きな感動と余韻を与え、宴席での思い出話に花を咲かせる。そして鼓動は翌年へ、移り住んで来た人たちへ、次の世代へと引き継がれていくのだ。
(新居龍彦)
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天高く差し上げられた太鼓台の房が揺れる