数ある家族旅行の思い出の中で、今でも鮮明に蘇る心地よい思い出がある。場所は福島県東山の小さな温泉旅館だった。
到着早々女将さんが幼い私たち姉妹にこう伝えてくれた。「この裏山にはタヌキが住んでいるのよ。たまに遊びに来てくれるわ」。女将さんの一言でテンションが上がった私たちは、部屋の窓の障子を開けタヌキが遊びに来るのを今か今かと待った。
しばらく経ってから、女将さんがタヌキの目撃情報を伝えに私たち姉妹を訪ねて来てくれた。その後、私たちは窓越しにタヌキと会うことができ、とても嬉しい気持ちで布団に入った。翌朝女将さんを探しに行って、お礼を伝えた。
その時の女将さんの温かな笑顔は、切り取った写真のように脳裏に焼き付いている。一連の出来事を思い出すたび、心がほっこり温かくなる。
あれから約25年経った今、私はシニアマイスターネットワークを通し、今まで以上に宿泊・観光業界の話題に触れる機会をいただいている。それらに関するニュースにより関心を抱き、自分なりにこの業界について考えを巡らすようになった。
とりわけ昨今、東京オリンピック誘致成功もあり「おもてなし」という言葉を頻繁に耳にする。宿泊・観光業界のみならずカフェや病院、街中が「おもてなし」感であふれていると感じる。
ある日「おもてなし」を打ち出している都内ホテルのラウンジサービスを受けた時、妙な違和感を覚えた。あの時の女将さんとの思い出のような温かさはなく、どこか冷たい感じを否めなかった。その時、もしかして「おもてなし」という言葉の実態はマニュアル化された「一業務」「一サービス」なのかもしれないと思ったのだ。
私が思う「おもてなし」はかしこまったものや手厚いもの、そして仰々しいものではなく、極自然体なものだ。あの時、子どもの自分が受けて感じた女将さんの「おもてなし」は、とても可愛らしくてさり気なく、何より自然体であった。
大人になった今でもずっと心に残っているのは、“真心”という「おもてなし」だったからに違いないだろう。
(NPO・シニアマイスターネットワーク事務局 田中よし美)