日本には古くから茶道にも代表される「設え」、いわば「ハード」のおもてなしがある。茶席の亭主は、客や季節に思いを寄せ、掛け軸や花、道具を選び、露地を清め「おもてなし」の準備をする。
私の前職、30余年勤務したホテルでは、良いホテルの条件として「ハード」「ソフト」「ヒューマン」のバランスが高品位に保たれていることと教えられてきた。「ハード」とは建物や備品、「ソフト」はサービスの仕組みや組織、「ヒューマン」は心配り、気配りなどである。
特にホテルの財産であるといわれる「人・ヒューマン」と等しく「ハード」が重要であると心底実感したのは、客室の責任者を務めた3年間であった。その3年間で得た実感とは、「ホテルは中古品販売業である」ということ。知らない人が今朝まで使用していた部屋が、本日チェックインのお客さまにとっての商品となる。忘れ物チェックから始まり、ちり、ほこり、臭い、ファブリックの染み、建具のきしみ、水圧…。客室内の全てを、新品同様の心地良さを提供できる商品、完成品として仕上げ、新品同様の値段で販売する。
このホテルの根幹である客室という商品を日々生産しているのは、多くは委託されたプロフェッショナルな清掃会社である。そこには、自分たちが客室を創っているという多大なるモチベーションを持って日々奮闘する多くの清掃スタッフがいる。
客室の責任者となり2カ月余りが過ぎたその日、東日本大震災が発生した。その後の原発事故の影響で海外からのお客さまは姿を消し、客室の4割をクローズして営業を続けた。
このようなとき、ホテルとともに打撃を受けるのはパートナー会社である。8割稼働に対応するために雇用していた清掃スタッフの仕事が半減する一方、需要回復のめどが立たない中、その日のための雇用維持に腐心する。客室という中古品を、心地良さを提供する完成品に仕上げるためのプロフェッショナルな技術とそのモチベーションは、一朝一夕に習得できるものではない。「ハード」のおもてなしを創り上げているのは「人」なのである。
コロナ禍の今、10年前よりはるかに深刻な状況が続いている。しかし、必ずや訪れるアフターコロナに向けて、その技術とモチベーションを保ち続けることを忘れてはならない。
(一般社団法人日本宿泊産業マネジメント技能協会会員 西武文理大学准教授 冨樫文予)