キリスト教、とりわけカトリックの世界では2月はカーニバルの季節である。近年はコロナ禍による中止が続いており、ブラジル・リオのカーニバルはじめ今年は久々の制限のないフル開催となったところも多く、世界各地でより大きな盛り上がりをみせていると聞く。
私が研究のフィールドとしているベルギー北部フランデレン地域にも有名なカーニバルがある。それがアールストのカーニバルだ。アールストは人口約9万弱の小都市ながら、3日間のカーニバル開催期間に約8万人の動員があるとされ、ベルギーでも最大級のカーニバルである。カーニバルといえば巨大な人形を載せた山車とともに派手なコスチュームや仮装をしている人々が歌と踊りに合わせて行進する祭礼イベントだが、そこに皮肉やユーモアを交えた政治や社会、そして権力者に対する風刺、いわゆるブラック・ジョークの要素を加えるのがアールストのカーニバルの特徴である。
しかし、その風刺が過度な揶揄(やゆ)にあたると批判され、ときに大きな問題にまで発展したことのあるいわくつきの祭礼でもある。アールストのカーニバルは中世に起源をもつ伝統的な祭礼であることが評価され、2010年には無形文化遺産としてユネスコの世界遺産に登録されていた。
ところが、その後に出されたナチスをモチーフとした山車が不謹慎であるとユネスコに指摘され、2019年のカーニバルにおいてもイベント開催予算の節約を表現するためにステレオタイプ的な超正統派ユダヤ人をモチーフとしたことが差別表現になるとして批判の的となった。
アールストの首長は悪趣味であろうとも「表現の自由」こそがアールストのカーニバルの真髄であり、その自由が脅かされる世界遺産の指定は必要ないとして、自ら世界遺産の取り消し申請を行った。そして、2019年末に無形文化遺産で初の登録抹消、世界遺産としても初の自主脱退となったのであった。なお、この問題となった超正統派ユダヤ人の人形は、極右政治家を風刺する前年の人形を節約のために再利用したものであったそうだ。なんと皮肉なことか。
さて、2020年以来の開催となった今年はどうだったのか。アメリカ上空を飛行していた例の偵察バルーンを模したものが装飾のランタンとなり、スイッチを押すと自身のむき出しになった臀部(でんぶ)めがけてミサイルが飛ぶプーチン大統領の巨大人形が出現したり、汚職事件を起こした政治家が磔(はりつけ)になっていたりと相変わらずなかなか強烈である。
いかにもベルギーらしいユーモアではあるのだが、これらは「表現の自由」なのか、それとも単なる「悪趣味な揶揄」なのか、今後も議論を巻き起こす祭礼であり続けるであろう。
しかし、カーニバルが遺伝子に組み込まれているともいわれるアールストの人々はどこ吹く風だ。イベントのホームページでは既に来年に向けてのカウントダウンを始めている。
(帝京大学経済学部観光経営学科講師 飯塚遼)