私は、旅行業界での30年の経験を通じて、旅が人々の心に与える影響の多さを目の当たりにしてきた。多くの研究者も、旅が自己成長や健康回復等につながると指摘している。特に、同じ地域を繰り返し訪れ、その地の日常生活に溶け込む「異日常」の経験が訪問者に持続的な元気を与えることをお客さまとの関わりの中で気づかされた。
この気づきは、山形県の最上郡にある肘折温泉へ通い続ける私自身の体験に基づくものでもある。
日々の業務に追われ、心身ともに疲れながらも休めない環境だった数年前、知人の紹介でこの地を訪れた。人口200人余りのこの小さな集落は、冬になると積雪日本一を争う地域である。九州出身の私にとって、初めて経験する雪深い土地での生活は、新鮮な驚きであった。真っ白な景色は、今でも鮮明に記憶に残っている。仕事の合間に吹雪をくぐり抜けて公衆浴場へ行ったり、こたつで雪を眺めながら仕事をしたりした。夜は、温泉中心地にある酒屋で地元の人々や常連客と雪見酒を楽しみながら語り合う。このワーケーションは、身も心も温まる「異日常」の体験として、私の生活にすぐに溶け込んだ。
この体験から、なぜ肘折温泉に引かれるのか、そして「異日常」が私たちにどのような影響を与えるのかを深く掘り下げてみたいと思った。この探求心が私をポジティブ心理学へと導き、現在は桜美林大学大学院で「異日常」の生活経験が日常にどのように影響を及ぼし、持続的な心地よさを生み出すのかについて研究している。
肘折温泉の常連客たちにとって「無条件で温かく迎え入れる場所」としてのこの土地の価値が再確認されているように思う。その意味で「異日常」とは、この深いつながりが「元気でいられる」という感覚の源であり、旅の効能を探る鍵なのではないだろうか。今年は、大蔵村役場や旅館の方々への協力を得ながら、お客さまへのインタビューを行う予定である。
この「異日常」の体験を通じたウェルビーイング(心身の健康の維持・増進)は、多くの人が地域を訪れるきっかけとなり、関係人口の増加にもつながると考えられる。私自身もこの1年間、肘折温泉を頻繁に訪れ、「異日常」生活を楽しく続けながら修士論文の完成を目指していきたい。
(くじらコミュニケ―ションズ代表 桜美林大学大学院国際学術研究科心理学実践研究学位プログラム 博士前期課程2年〈石川利江ゼミ〉岡部純子)