【一寸先は旅 人 宿 街 15】旅の楽しみを放棄するなかれ 神崎公一


 料理宿で待っていたのは粒あんのようかんのような一切れだった。福井県高浜町の珍味、若狭の特産品「フグの卵巣の粕漬け、ぬか漬け」だ。この地方特有の魚をぬかに漬ける食文化の一つで、こうすることによって、フグの毒が抜けて安全に食べられるという。

 それまでにぎやかに質問をして取材を進めていたライターたちが押し黙ってしまった。「さあ、当地の珍味です、召し上がってください」。すすめられても、はしが動かない。「フグの卵巣=ふぐ毒」との先入観が強いためだろう。筆者は他の人の分までもらって食べた。多くのグルメライターが参加した取材ツアーの一コマだった。後日、彼らの書いたフグの卵巣の粕漬けに触れている記事を読んだが、ありきたりの食感などが書かれていて、おいしさが伝わらない内容だと思ったのを記憶している。

 もう一つ。ある旅行ライターと待ち合わせをして昼食をともにすることになった。場所は東京・築地。その男性が店を選ぶとのことで、築地駅に着いたところでメールが入った。なんとファミリーレストランで待っているとの連絡だった。ファミレスを悪く言うわけではないが、築地で昼食を取るなら、すし店など、もっと気の利いた店がたくさんあるだろう。高級店でなくても、1500~2千円も出せば、落ち着いた雰囲気で会話が弾む店をどうして選ばなかったかと内心がっかりした。
 旅の楽しみの一つに食事がある。筆者は食通ではないが、旅先ではその土地ならではの料理を探して食べることにしている。津軽・五所川原を訪れた時は金木町の馬刺し、函館では朝市のいか刺し、盛岡では冷麺、茨城の水郡線沿いの新そば、米どころ新潟ではビジネスホテルに宿泊しても、ホテルを出て朝食営業をしている街中の食堂を探す。焼き魚に白いご飯が何ともうまいのだ。数えればきりがない。記事を書く時にも、それを食べた時の感覚が思い出され、描写がやりやすい。

 ここ10年来、メディアに限らないだろうが、経費の使い方が問われるようになった。旅行メディアに関して内情を明かせば、2泊取材が1泊に短縮されるようになった。極端な例としては、現地に赴かず、電話取材をして写真は取材先から提供してもらうケースもある。それに加えて、コロナ禍の行動制限によって、現地取材が難しくなった時期もあった。

 その結果、臨場感あふれる描写が少なくなった。例えば、伊勢神宮だと、「早朝参拝に訪れ、一歩、足を踏み入れると神々しい雰囲気に包まれる」と書くが、何が神々しいのか。「玉砂利を踏む音と鳥の鳴き声しか聞こえず」とすれば、清らかな境内を進む感じがよく伝わる。

 食の記事にしても当てはまる。しばしば目にする「絶品の味わい」。古巣の旅行雑誌では、この「絶品」と「堪能した」を使うことを避けるようにした。

 何が絶品なのか、自分の舌で味わい、盛り付けのすばらしさやきめ細かいサービスに心地よい気分になったことなどを具体的に書くように心がけたし、記者たちにも指示した。

 そのためには、まず何でも食べてみることだ。ぜいたくをする必要はない。少しだけ財布のひもを緩める必要があるなら、お得な切符などを利用して、旅費を浮かせ、その分、旅先のささやかなぜいたくに回せば良い。

 旅という身近な体験は、誰でも書けそうな感じだが、実はそんなことはない。その土地を訪れ、温泉に浸かり、地元の人の話に耳を傾け、料理を味わう。こうしたことの繰り返しで、コクとうまみのある記事が生まれる。コロナ禍が収束に向かっている今こそ、旅に出て、旅先でのさまざまな料理に挑戦し、その喜びを伝えよう。自戒の念を込めて。

 (日本旅行作家協会理事、元旅行読売出版社社長)

 
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