旅行が好きな人にとって、思い出深い航空会社として記憶が残っている人も多いのが、今はデルタ航空と合併してブランドが消滅したノースウエスト航空だろう。成田空港開港時の1978年からノースウエスト航空は、JAL、ユナイテッド航空と共に海外旅行ブームをけん引した航空会社だろう。
成田空港第1ターミナルのサテライトには、午後になると、多くのノースウエスト航空とユナイテッド航空の飛行機がアメリカだけでなく、アジア各都市からも一気に到着し、そして夕方から夜にかけて一気にアメリカやアジア各都市へ飛んでいった。この2社の航空券は当時、JALやANAなどの日系航空会社に比べると割安な運賃だったことから、安く旅に出かけたい人には神様のような存在だった。またアジア行きの航空券の安さは、今のLCC(格安航空会社)のようなレベルで、成田発が夕方、アジア発が朝という点だけがネックだった記憶がある。アメリカ行きの航空券においても、ユナイテッド航空と共にゾーン制というエリア内であれば自由に同一金額で周遊できるタイプが人気だった。
アメリカ国内では、パンアメリカン航空(パンナム)が1991年に経営破綻した後は、ユナイテッド航空、ノースウエスト航空、アメリカン航空、デルタ航空、コンチネンタル航空、USエアウェイズの6社がアメリカの主要航空会社で、USエアウェイズを除く5社が日本に乗り入れをしていたが、リーマン・ショック後の2008年にデルタ航空とノースウエスト航空が経営統合して新生デルタ航空に、10年にはユナイテッド航空がコンチネンタル航空との統合で新生ユナイテッド航空に、さらに13年にはUSエアウェイズがアメリカン航空を吸収する形で新生アメリカン航空がそれぞれ誕生し、アメリカの三大航空会社となった。
三大航空会社は、その後も日本路線を積極的に運航してきたが、羽田空港の国際化によって、徐々に羽田空港へシフトしつつも成田空港からの路線も継続してきた。だが、今年3月29日からの羽田空港における日中時間帯の国際線発着枠が拡大し、アメリカの航空会社だけで12枠(往復)が配分され、日本に提携航空会社がないデルタ航空には、既存の2枠に加えて新たに5枠を獲得したことで合計7枠となり、3月29日からは全便羽田発着に変更された。新型コロナウイルスの影響で成田空港最終日の3月28日はわずか2便のみの運航となり、都内の外出自粛の影響でセレモニーなしの静かなラストになったが、多くの人の思い出から忘れることはないだろう。
(航空・旅行アナリスト、帝京大学非常勤講師)