日本の政界が混乱する中で、朝鮮半島情勢は大きな転換期を迎えようとしている。過日、北朝鮮兵士の亡命による流血騒ぎがあった板門店で、南北首脳会談が開催されるという歴史的な出来事が起こった。休戦協定が終戦協定となり、平和条約が結ばれ、核廃絶実現への道筋ができれば、歴史に刻まれる日となる。拉致問題が解決し、容易に渡航できる関係になることを期待したいものである。
新緑の美しい季節を迎えた日本では、列車の車窓から田園風景が広がる。「大百姓」生まれの私の目は農地に向いてしまう。農家は田んぼを耕し、水を張り、田植えの準備に余念がない。学校田のある学校も少なくなり、主食の米や、野菜果樹の生産がどのように行われているのか、詳細を知るのは農家だけであろう。
米作は、幾多の作業が折り重なって収穫を迎える。水不足、干ばつ、日照不足、低温、大雨冠水、台風などの風倒、獣害、病虫害などの多くの困難を乗り越えた上に実りを迎える。労働の大変さはもちろん、災いの多くが自然相手であり、時にはやり場のない苦しみも、諦めもある。ある意味、我慢強く、打たれ強くなければ生きていけない。
学校は、新学期を迎え、修学旅行が始まり、次年度やその次に向けての行き先や内容も検討され始める時期である。いまだにテーマパークや遊園地が入っている地域が少なくない。お金を出して楽しさを買うのだから、楽しいはずである。ゲームやスマートフォンをいじる時間と引き替えに、遊び、対話、睡眠の時間が奪われている。バーチャルなゲームに負けても命を奪われるわけではない。楽しいばかりで、リスクのないものには挑戦という言葉は当たらない。我慢強くも打たれ強くもならない。
社会の現実は、艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越える力を必要としている。有名な寺院も、城も、テーマパークも行く機会は今後も容易につくれるが、農林漁業体験や自然体験、体験交流型民家ステイ、あるいは戦争体験講話などは相手があり、人生に必要な多くの学びを与えてくれ、その時代に生きた証しとなることからも、今行くべきであり、体験すべき時である。
教員はそう考えるべきだが、実際には、前年踏襲やリスク回避という保身、時代錯誤という社会性のなさや、保護者への説得すらできない情熱のなさも見られる。生徒を取り巻く環境にどんな課題があるのか、その解決に何が必要なのか、問題意識、その課題解決能力など、人間力が不足している教員があまりに多い。誰のための教育であり、学校行事であるのか、時代の要請を見極められなくて、生徒を導く資格はない。
また、教育旅行を扱う旅行会社が、そんな教員の言う通りの旅行を提案しているようでは、自らの手で商品や業界の価値をおとしめることになる。新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」が求められている。この時にこそ、大きな転換期と捉えて、生徒の未来につながる修学旅行に挑戦してほしい。