前号で書いたハヤシライス、中途半端に余ったときは、ハンバーグなど別の料理のソースとして使うことが多い。中でも家族に人気なのが、オムハヤシだ。
バターライスの上にオムレツを載せ、黄色いオムレツにチョコッと茶色が掛かる感じの位置にハヤシソースを添える。オムレツの真ん中にナイフを入れると、中から半熟の卵がのぞき、とろぉ~りとあふれ出す。そう、現在、わが家のオムライスは「ふわとろ」タイプだ。子供の頃、母が作ってくれたのは、しっかり火を入れた薄焼き卵でケチャップ味のチキンライスを包む、王道タイプだった。
今や主流とも言えるこのふわとろ系オムライス、生まれたキッカケは映画だとご存じだろうか? 伊丹十三脚本・監督、1985年製作の「タンポポ」だ。伊丹監督考案といわれるこのオムライスを撮影した、東京日本橋の老舗洋食店「たいめいけん」で、その後、メニューに加わったそうだ。
最近では、また違うタイプのオムライスがトレンドとなっている。2年くらい前、韓国のSNSでバズった「トルネード・オムライス」だ。卵液が固まり始めたところを菜箸で寄せ、フライパンをゆっくり回していくと、きれいなドレープになる。それを山型のご飯に載せれば、貴婦人がドレスをまとったかのように見える。実はコレ、さいたま市大宮区にある、昭和33年創業の洋食店「紅亭」が発案した。平成9年ごろには提供されていたようで、「特製オムライス」から「ドレス・ド・オムライス」に改名したところ、話題になったそう。
そもそも最初にオムライスを作ったのは?というギモンが湧いてきた。諸説あるようだが、東京銀座にある、明治28年創業の「煉瓦亭」発祥説が有力。元は賄いだったそうで、調理場があまりに忙しかったため、片手でご飯とおかずを同時に食べられるように、オムレツにライスを入れて作ったのが「ライスオムレツ」。客からの要望もありメニューに載せたのは、明治34年のことだそう。
同店のオムライスは卵が外側にあるのではなく、あらかじめご飯と卵を混ぜてから焼くので、両者が一体となっている。だが、中心部分は半熟で、古くから存在する「元祖」なのに新食感だと、今なお人気が高い。ちなみに同店では、他にも豚カツ(ポークカツレツ)や海老フライなどの洋食メニューが誕生している。
日露戦争直後の明治38年、外国船に乗っていた料理人たちが、海外の米料理を覚えて帰国。それらを生米から調理するのではなく、炊いたご飯を炒飯式に鶏肉と炒めたモノが「チキンライス」となり、薄焼き玉子で包んだバリエーションも生まれたらしい。初の国産ケチャップが製造販売されたのが明治36年、一般に流通するようになったのはちょうどこの頃だ。
ふわとろか王道かは好みの分かれるところだが、オムライス自体を嫌いな人ってあまりいない。皆に愛されるオムライス、ニッポンが誇る洋食は、先人たちの創意工夫に満ちていた。
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。