アイガモ農法のお話の続き。アイガモやアヒルなどの水禽(すいきん)は、平安時代に中国から持ち込まれ、家禽として育てられるようになったという。安土桃山時代に入り、アヒルを水田に放し飼いにすることを推奨したのは、豊臣秀吉だとされる。
その後も日中は水禽を放し飼いにして、日が暮れると小屋へ移動させる農法はあったが、1960年代には殺虫剤や除草剤が広まり、農薬の害で水禽が死んでしまう事例が増え、この農法は廃れていった。
そして85年ごろ、富山県でアイガモ除草法が確立した。福岡県桂川町(けいせんまち)で完全無農薬農業に取り組んでいた古野隆雄氏がそれを知り導入。アイガモが見事に除草してくれた!と喜んだのも束の間、野犬に襲われてしまった。野犬との闘いに万策尽きたころ、山間部でイノシシ防御の電気柵を見て水田に応用し成功。91年アイガモの放し飼いが24時間可能で、水田の生態系も保てる「アイガモ水稲同時作」を確立、国内外に広めたという。同氏はスイスのシュワブ財団から「世界で最も傑出した社会起業家」の1人に選出され、世界経済フォーラム総会、通称「ダボス会議」にも招かれた。この農法が「地球環境のために永続する農業」と評価されたのだ。
前回、この農法はご苦労も多いと述べたが、それはナゼか? カモ肉の贈り主、野木冨士男さんによると、アイガモの脱走を防ぎ、カラスやトンビ、イタチなどの天敵から守るための設備を整える手間やコストがかかるという。調べたところほかにも、毎年新しいヒナを必要とすることや、成長し田んぼから引き上げたアイガモをどうするか?が、課題となっているようだ。
前回述べた通り、自然に帰すことは法で禁じられているため、自家消費するか、食肉処理場に引き取ってもらうしかない。アイガモ農家のカモ肉は、日本で主に流通している安価な輸入品より高価で、売り先の確保が難しいともいわれ、採算が合わない場合も。だが、軌道に乗れば、農閑期の収入源にもなるという。
人間の都合でアイガモがかわいそうという意見もあるだろうが、大阪府立農芸高等学校では99年から生徒たちが「アイガモ水稲同時作」による環境保全型循環型農法について学んでいるという。ヒナから飼育し水稲栽培を行うと共に、水田から引き上げた後の肥育や、と畜・解体・調理・販売まで一貫して行い、6次産業化に取り組んでいるそうだ。「命をいただく尊さ」を学ぶ授業でもある。
さて、肝心の藤田利春さんのカモ肉は? ガラは、キレイに掃除され、歯ブラシ片手に、いざ洗うぞ!と意気込んだが、血塊や内臓の一部などが残っていない。命を敬い、大切に扱っているのだ。ちなみに、中島村のふるさと納税でも入手可能だ。
やっぱカモ鍋でしょ♪と、ガラでダシを取り、肉を薄切りに。かめばかむほどうまみがあふれ、脂の甘みが押し寄せてくる。カモのダシで、締めのソバまで美味。「いただきます」の重みを改めて実感した夜であった。
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。
(観光経済新聞12月2日号掲載コラム)