松本彧彦(まつもとあやひこ)さんとの出会いは2005年、自著「悠々ロングステイガイド台湾」を出版したときにさかのぼる。版元のイカロス出版に電話をいただいたのがきっかけで、以降、目にかけていただき、交誼(こうぎ)を結んできた。同窓の大先輩でもある。
本書は台湾観光協会の全面協力のもと、台湾中央の埔里鎮(フーリーちん)での長期滞在を紹介した一冊である。当時、同協会の東京事務所長だった江明清さんが、奔走してくれた。現地視察やテレビロケの様子は台湾地元紙にも大きく取り上げられ、また、台北駐日経済文化代表処(東京・港区)は台湾ロングステイ査証を発給して、日本人リタイア層の獲得を目指した。2007年に団塊世代の大量定年が迫るときだった。
個人的にも台湾との結びつきは深い。東日本大震災では、台湾から多くの義援金が寄せられ、勇気づけられたことは記憶に新しいだろう。自らが遺族になったこともあり、台湾の人たちの寄り添う心が骨身に染みた。筆者の初めての渡台は1986年、戒厳令下のこと。国際経済を学ぶ大学ゼミの仲間たちと、台北をはじめ、台湾鉄路を利用して基隆などを巡った。当時は、市街での写真撮影が禁じられ、鉄道切符を買うにも言葉が通じず筆談だった。
旅行会社勤務時代は添乗で、ジャーナリスト時代は取材で台湾へ足しげく通った。個人旅行では、新光三越を立ち上げた日本人董事長が旧知であったことから、さまざまな場所を案内してくれた。
また、二輪車のエンジニアだった実父は、1999年から足掛け10年、台湾と日本を往き来して三陽工業で技術指導を行ったことで、家族ぐるみの付き合いも生まれた。父の通訳だった葉啓南博士のコロナ明けの家族訪日を、父娘で楽しみにしている。
さて、日台スポーツ・文化推進協会を立ち上げた松本さんは震災支援の感謝のしるしに、沖縄・与那国島から台湾・蘇澳(すおう)までの全長120キロを泳いで渡るという珍プロジェクト「日台黒潮泳断チャレンジ2011」を成功させた。母校・水泳部の若者たちがリレー形式でバトンをつないだ。ほかにも台湾各地に桜を植樹する友好運動や台北国際マラソンの発足など、日台の架け橋として尽力された。これらが結実し松本さんは、2011年に台湾外交部から外交奨章を、2016年には日本政府から外務大臣表彰を受賞する誉に輝いた。日中国交正常化の共同声明がなされた1972年当時、自民党にいた松本さんは、歴史の転換点にいた。翻って、このときを境に日華断交となり今に至るのだが、その溝を丁寧に埋めてきた人ともいえよう。
昨年暮れ、東京プリンスホテルで「松本彧彦さんを囲む懇親忘年会」が開催され、江明清氏とともに駆け付けた。発起人には、自民党副総裁などを務めた高村正彦氏、文化庁長官の都倉俊一氏、歌手のジュディ・オング氏、陸上競技で知られる瀬古利彦氏、「日中友好侵略史」などの著書で知られる門田隆将氏、関電工の社長・仲摩俊男氏が名を連ね、多くの台湾関係者らも詰めかけた。
2023年はポストコロナ元年。台湾有事の可能性など不安も尽きないが、朋友台湾との絆を双方向の交流で、さらに堅固にすべきときといえよう。
(淑徳大学 経営学部 観光経営学科 学部長・教授 千葉千枝子)