
昭和レトロの街で知られる東京・青梅。JR青梅駅の地下通路の壁面には、名画「旅情」や「鉄道員(ぽっぽや)」などノスタルジックな映画看板絵がずらりと並ぶ。現役の看板絵師がいる青梅ならではの光景だ。
江戸時代中期、青梅宿は石灰や材木、織物などが集積し、交通要衝としてにぎわった。その面影を色濃く残した古い建造物が、旧青梅街道沿いにはたくさん残る。後継者によって今も商いが営まれる店舗や旧家、寺社も多く、なりわい交流の場も少なくない。
猫アートが楽しい路地を進んだ先の「昭和レトロ商品博物館」には、懐かしの菓子パッケージなどが保存・展示されている。時代を感じさせる建物が入場無料の観光施設となり、地元商店会が運営する。2階には青梅発祥とされる雪女伝説にまつわる展示もある。
戦後、青梅は織物の産地として栄えた。昭和20年代から30年代にかけて最盛期を迎え、「夜具地は青梅」とうたわれるほどに寡占を極めたのである。夜具地とは布団用の生地織物で、光沢があり、モダンなデザインが多い。「ぎゃらりーカフェ はこ哉」では、おしゃれな夜具地のティーマットで、おいしいコーヒーをいただくことができる。
なぜ夜具地が生産されたかといえば、やはり江戸時代にさかのぼる。絹と木綿を織り交ぜた「青梅縞(しま)」は江戸っ子たちに人気で、市が地域プロモーションで取り組んできた「Ome Blue(青梅ブルー)」にもつながる。以前、インフルエンサーと「藍染工房 壺草苑(こうそうえん)」で染色工程を見学したことがあるが、インディゴの柔らかな風合いは世代を超えて愛されると感じた。
かつて青梅は、製糸場や織物工場が建ち並び、活況を呈した。織機が「ガチャ」と鳴れば、一夜にして万単位でもうかることから、「ガチャマン」という言葉が流布したほど。三業通りが開け、路地裏には呑(の)み屋や食事処が軒を連ねた。もちろん今も、赤ちょうちんが私たちを誘う。
何といっても青梅には、銘酒「澤乃井」がある。奥多摩の渓谷美を眺めながら野外で楽しめる「清流ガーデン澤乃井園」での一杯が、最高のひと時だ。また、進物などで人気のタオルブランド「ホットマン」の本社も青梅。明治元年創業の老舗だが、もとは着物生地を製造した。吸水性抜群の「1秒タオル」は同社の大ヒット商品だ。
さて、皆さんは「青梅だるま市」をご存じだろうか。430年近い歴史があり、開催日は年始の1月12日で固定する市。この市に、ゼミ生たちと繰り出した。
街道は東西にわたり通行止めになり、露天商がひしめく。高崎だるまがひな壇様式で売られる光景とは異なり、青梅の縁起だるまは地べたに平積みで売られる。
案内くださった青梅市観光協会の星野由援(ゆうすけ)事務局長が、「西の方角でだるまを買うと、なお縁起がよいですよ」と教えてくれた。なぜなら京都に近いから。江戸っ子も京の都を意識していたのがうかがえる。西側で、高さ23センチほどの赤い3号だるまを自分用に、青梅ブルーの青い1.5号だるまを土産用に買い求めた。
願いごとは、ただ一つ。満願成就を祈念して、おごそかに左目に墨を入れた。
(淑徳大学 学長特別補佐・経営学部学部長・教授 千葉千枝子)
(2025年2月17日号連載コラム)